エンドロールまで歌ってよ


 幼い時分から、他人と己の間に境界線が敷かれているのが、はっきりと観えていた。他人と己は決定的に違う存在なのだ、という境界線が。
 容姿と体躯に恵まれ、頭脳もそこら辺の大人より飛び抜けて優れていた俺は、いつも注目の的で特別扱いだった。まるで世界は俺を軸にして回っていると錯覚するほど。だからこそ観える境界線は濃く、他人は遠かった。まるでパソコンのモニター画面を覗いてる、みたいな。いや正しくそうだった。
 
 俺はモニター画面越しに世界を観測し、観測する事で世界を獲得する。

 オープンワールドでは様々なプレイヤーが犇き、ニューロンのように繋がりあって宇宙を形成していく。応酬を繰り返し、波のように伝播して、新たな文明を構築していきながら、また世界を拡張していく。観測する度、俺は心が躍った。だけど飽きもしていた。ミクロもマクロも基本は変わらない。列から逸れた個体もやがては群れへと戻っていく。世界はルールに従順だ。どれだけ壊れても、何も無かったように他人顔をし、事実何もなかったかのように進んでいく。俺はずっと、ここで観測しているというのに。



 1:4の幅広なモニター画面、その中でさらに小さく分割され碁盤のように区切られたカメラの映像たちを、頬杖をついて眺める。各部屋に一つ、観賞用のカメラを設置しているので、働き者なカメラたちは絶え間なく俺に世界を届けてくれた。
 モニター画面には様々な様相が思いおもいに繰り広げられている。発狂、嗚咽、自死、咆哮、暴力、妄想、懇願、崩壊。まるで地獄絵図だ。だけど魅せてくれる奴は一人も居ない。つまらない。それでも辛抱強く、各部屋をチェックしていく。色んな人間をコレクションしてきた。だけど結局、俺を魅せてくれそうな奴は影すら捕まえることが出来なかった。
 
 日課を終え寝室へと戻れば、敬一君が規則正しい寝息を立てて布団に包まっていた。時計に目を転じれば時刻は午前三時。夜の配信を休んだのに、日課に随分と時間を掛けていたようだった。
 ベッドの端に腰掛け、寝顔を覗き込む。淡い色の瞳は薄い瞼の下に隠れ、整えられていない前髪は乱れて年相応の幼さをみせている。真っ直ぐに整った鼻筋から辿り、少し寄っていた眉間のシワを伸ばすよう、指を押し当ててみた。ちょっとした悪戯心だ。だけど敬一君は起きず、寝苦しそうに唸って寝返りを打つだけだった。
「……つまんねーな」
 隣に潜り込んで寝てしまおうか、と迷う。だが夜型の脳はまだ冴えていて、微睡の気配すらない。
 不意に昼間のことを思い出す。パン屋へ礼二君と敬一君を連れて凸配信した記憶だ。派手な撮れ高はなかったけど、久々に同世代の人間と遊べて楽しかった。いや、同世代だから楽しかったんじゃない。自分に似た人間たちだったから、楽しかったのだ。
「敬一君、寝ちゃったのか」
 ぐりぐり、と。人差し指を金髪の後頭部へと押し当て、起きないと分かっているが突いてやる。予想通り、敬一君は起きない。
 パン屋の帰り、仕事だからと帰る礼二君を見送った俺と敬一君は、流れで俺の家へと戻ることになった。敬一君が俺の家に来るのは、今日でやっと二桁いくぐらいだ。最も、俺の家に来たことあるのは今のところ敬一君ぐらいだけど。
「……昼間、結構歩いたし、疲れちゃったのかよ?」
 いつだったか礼二君が、人間は見たいモノしか見ない、と言っていた。なら敬一君は、見えているのに見ないフリをするのが上手な人間だ。いや、元々そういう人間だったんだろう。今は目を背けないよう、必死に耐えて目を開いている。健気で可愛らしい。けど、まだまだ全然、下手っぴだ。だけど俺はそんな敬一君が好きだから、別に構わない。
 今も、もしかすると起きているのに、眠っているフリをしているだけなのかも。なんて。
「敬一君って、いっつも無防備だよな」
 俺に背を向ける男の、白い頸に指を這わす。彫刻のように浮き出た頸椎を数えるよう、ゆっくり、ゆっくり、指の腹で確かめていく。
 この男はどうして起きないんだろうか。怯えていたクセして、俺を信用しているんだろうか。必死に目を凝らしていたのに、ちょっと褒めただけで目を逸らす。そうやって隙をみせるから俺ん家に連れ込まれたんだって、全然理解しちゃいない。
「……敬一君って、さ。可愛いよな」
 這わしていた手で頭蓋骨をなぞり、側頭を通って前髪を掻き上げてやる。薄闇の中で白い耳朶が秘めやかに光を放っていた。いや、カーテンの隙間から差し込む白く細い月光が、敬一君の横顔だけを照らしている。まるで蜘蛛の糸だ。だけど眠っている敬一君は気づいちゃいない。
「可愛いから、食われちまうんだ」
 無防備な耳朶へと舌を伸ばし、唇で喰み、歯を立てた。
 びくり、と。横たわっていた体が跳ねる。目を白黒させた敬一君が勢いよく体を捻り、俺を見上げると、叫びと動揺の混じった声で呻いた。
「っ、っあ、え、か、のう、な、なにして……」
「おはよ、敬一君」
 敬一君が耳を抑え、鈍臭い動きで俺から距離を取る。危険だって事は理解しているみたいだ。なにが起こったのかは、まだ分かってないみたいだけど。
「な、なに、いや、ちが……」
 ポタ、と敬一君の指を伝ってナニカが落ちた。黒い。いや、違う。赤い。血だ。強く噛んだ自覚はなかったけど、どうやら耳の薄い皮膚を俺の歯が裂いたらしい。
「……っ」
 薄い闇の中、敬一君が顔を歪め、俺を見る。耳を抑える手には赤い筋が細く伝っていた。
「ごめん。強く噛む気はなかったんだ」
「……」
「血、出てるな」
 ベッドへと手をつき、ほんのちょっとだけ体を近づける。敬一君が逃げることはなかった。もうちょっとだけ、敬一君の側へと近づく。
「信じてくれねーかもだけど」
「……」
「痛い……よな?」
 信じる、と確信していた。敬一君は、二人っきりでいる時は聖者よりも慈悲深いからだ。いや、慈悲深さなんてモノじゃない。弱さに付け込まれ言葉すら奪われた状況を慈悲と呼ぶなら、俺は悪魔と罵られてもおかしくはない。
「敬一君」
 名前を呼び、逃げ場を失った体を抱きしめる。緊張しているのか、凍ってしまったかのように固い。もう一度、耳元で「敬一君」と名前を呼んだ。
「か、のう」
 俺を呼ぶ声がぎこちない。強張る背を撫で、敬一君の肩へ己の額を押し付けて謝った。
「ごめん、痛かったよな」
「なんで耳、噛みやがった」
 冷たい声が問う。責める声音じゃない。怯えている色だ。
「……」
「訊いてんだけどよ」
「……」
 強張る体を抱きしめながら答える。
「……食っちまいたかった、から」
「なんだ、それ……」
「無防備に寝てっから、その、魔が差して……」
「オメーなあ……」
「口に入れてみたくなった。どんな味がするか確かめたくて」
 はあ、と敬一君が深く息を吐く。
「だからって他人の耳、噛んでんじゃねえよ」
 強張る体の緊張が解かれていく。力が抜けたのか、敬一君の肩が下がり、額を押し付けていた俺の頭も一緒に下がる。そこでようやく俺も顔を上げ、敬一君の顔を窺うように覗いた。
「怒んねえの?」
「怒ってるっつうの」
「嘘だ。全然、怒ってねえじゃん」
「……なんでも、いいだろ」
 怯えていた、なんて言えないから。バレバレなのに敬一君は嘘を吐いた。俺はどうして、バレバレだった嘘を質すような真似をしたんだろうか。お前が恐ろしくて怯えていた、とか、そんなことを言われたかったのだろうか。それとも、俺を怖がってるのが分かったから、否定して欲しくて聞いたのか。はぐらかされた今はもう、なにも分からない。
「……っおい、あんま強く抱きしめんなって」
「いいじゃん。仲直りのハグだって」
「ったく、真経津みたいなこと言いやがって」
 先よりも柔らかくなった体を強く抱きしめる。諦めた敬一君は俺に好き勝手されるがままだ。やっぱり敬一君は慈悲深い。自分を傷つけた相手にも優しい男だ。それが喩え、自分では敵わないと理解している相手だからこそ差し出される慈悲だとしても。
 俺は初めて会った時から知っていた。敬一君は、一度認めてしまった相手にはとことん弱いってコトを。
 だけど、そっと、耳を抑えていない手が俺の背へと回されたのは予想外で驚いてしまった。
「えっ」
「……なに驚いてんだよ」
「え、いや」
「仲直りのハグ……だったんだろ」
「いや、まあ、そうだけど」
 敬一君の顔を観るが、どうしてか羞恥心めいた色が頬を染めているだけで、俺を抱きしめ返してきた理由は分からなかった。どうして、なんでだよ。俺のこと、怖かったんじゃなかったのかよ。
「敬一君」
「……」
「なにか俺に言いたいんだろ?」
「べつに」
「言ってくれ。お願いだから」
「その……」
 小さな声だった。敬一君の声を聞き逃さないよう、俺も小さな声で相槌を打つ。
「……仲直りっつうか、その」
「うん」
 淡い色が俺の視線から逃げるように泳ぐ。
「俺は時々、オマエが分かんなくて、怖い」
「……うん」
「魔が差したって言ってたけどよ、本当は、そんなんじゃねえんだろ」
 乱れた前髪が眼前の男を幼く、弱々しく見せていた。
「たまに俺を部屋に残してどっか行くだろ。仕事とか言って」
 敬一君が言っているのは観測部屋のことだ。あのモニターだらけの、絶え間なく観賞用のカメラから送られてくる映像群。俺が観測し、存在させている世界。俺が傲慢で居られる場所だ。
「そこから戻ってきた時のオマエが、俺は怖い」
「……」
「叶。オメーってさ、その……時々、人間らしく振る舞ってるように見えんだよ」
「……」
「賭場じゃオメーがどんな風かは知らねえ」
「……」
「けど俺の前だと、たまにだけどよ、わざとらしく見える時がある」
「……そっか」
 よく観てるじゃん。
「敬一君、俺が怖い?」
「……」
 淡い色の目が俺を映す。惑うよに揺れていたのに、今は夜のように静かだ。
「怖えよ」
 薄闇の中に敬一君の声がよく通る。明瞭な声だった。
「怖い。自分が弱いって知っちまうから。だから、もっとオマエの事が知りたい」
 ホント、泣けるぐらい努力家で、呆れるぐらい慈悲深いよ、オマエ。
「俺のコト、知りたいのかよ?」
「……教えてくれんならな」
 優しいな、敬一君。けど怖さに立ち向かう勇気があっても、無策じゃ褒められないぜ。それとも俺を理解することで手を差し伸べた気になるような、驕った妄想でもしてんのか?
「俺のこと、観ててくれるか」
「理解してやりてえよ。ちゃんと観せてくれるなら」
 先まで抱きしめていた男を押し倒し、その体に覆い被さる。ベッドのスプリングが煩かったが、かまわず胸倉を掴み、空いた手で肩を押さえつけながらキスをした。
「……なら、最後まで逃げないで、俺を観てくれるよな?」
「あんまり俺を見くびんじゃねえぞ」
 敬一君の耳朶はまだ血を流していて、真っ白なシーツに赤い斑点を作っていっている。胃の奥から飢えに似た暴力的な熱が込み上げてきた。
「敬一君、好きだ、どうしようもないぐらい」
「……告白してるヤツの顔じゃねえだろ」
 敬一君の耳についていた血を舌で舐めとり、さっきから無防備な首へ頬を寄せる。
「喰べちゃうかもしんないな」
「オマエにむざむざ喰われるほど、弱かねえよ」
 口煩い男にもう一度キスをし、その唇を噛んだ。痛い、という声と共に肩を殴られたが、馬乗りになる体を退けはしなかった。逃げないと言った男の、血の滲む唇を指でなぞる。傷口が染みるのか、敬一君は顔を歪めて俺を観ていた。
「最後まで俺を観てろよ」
「やっと本性現しやがったか」
 鋭い眼光が闇に滲んでいる。互いの視線が交わるが、まるで殺し合いの最中みたいな熱を帯びていた。
「本性なんてないって。どんなレイメイ君も、ちゃんと俺だったろ」
 だから特等席で、ちゃんと最後まで観てってくれよな、敬一君。
 
 
 
 あの日、あの時、俺はどうして配信なんて始めたんだろうか。もしかして俺は、勝手に回り続けている世界の一員にでもなりたかったんだろうか。だとしたら笑えるな。俺は今も、観測者のままだ。


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