植物の男


 目覚めれば、そこは森だった。
 上体を起こし、小さく伸びをする。森だと思ったのは観葉植物の群れで、俺が寝ていた場所は外ではなくベッドの上だった。目覚めたばかりの頭で部屋を見渡す。この部屋は日当たりがいいからか、観葉植物が多く置かれていた。おそらく元々は植物だけを置いておく部屋だったんだろう。だからか、ベッドは部屋のど真ん中、観葉植物に囲まれるよう雑に置かれていた。
 カーテンを開け、植物たちが朝の日に当たれるようにセッティングしてやる。ついでに窓を開け、早朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「おはよ、敬一君」
 背後から声をかけられ振り向く。叶がいつもの奇抜な格好、ではなく、黒のスウェットにボサボサ髪といったラフな姿で立っていた。手には濃い緑の霧吹きを持っている。
「徹夜か?」
「まあ、ちょっとな」
 叶が徹夜なのは珍しくない。大方、毎日投稿しているという動画の編集をしていたんだろう。叶の編集した動画はいくつか観たことがある。随分と手が込んでいて、テレビで流れるバラエティ番組のような華やかさと退屈しないテンポ、好奇心をくすぐり次の展開へと興味を引く作りで、プロ顔負けの出来だった。まあ、これで生活してるって云うんだから当たり前なのかもしれないが。それでもタレント仕事から広報、裏方までを過不足なく一人で全てやってのけるのだから、俺はただただ感心するより他ない。少なくとも、俺には出来ない。
「……徹夜もいいけどよ、体調には気つけろよ」
 感心はするし尊敬もする。だからといって心配しない、という選択肢もない。叶がどれだけ人間離れしていたとしても、だ。
「大丈夫だって。人間ドック受けてるし、リスナーにも数値とか公開してるし」
「健康をネタにしてんじゃねえよ」
「レントゲンも公開してるぜ」
 逞しすぎるタレント魂に一瞬、言葉を忘れる。
「……オメー、内側まで見せ過ぎだろ」
「俺のリスナーならもっともっとオレを観ないと、だろ?」
「レントゲン見せられるリスナーの気持ちにもなれよ……」
 呆れ、だが叶がここまで言うなら大丈夫か、と適当に納得する。
「まあ、オメーなら大丈夫だろ」
 叶がそこまで言うなら、たぶん、本当に大丈夫なのだろう。
 透明な檻に毒が回る中、吐血でゲームテーブルを汚しながら、最後の最後、たった一瞬の一手を出し抜くために手の込んだ演目を演じ切った叶なら。俺を易々と超えてしまう男なら。
「辛気臭い顔してんなって、敬一君」
「……そんな顔してねえよ」
「ま、どんな顔でもいいけどな。でも、最近の俺はマジで健康に気使ってんだって」
 霧吹きを手にした叶が踊るよう、部屋を回りながら観葉植物の葉を一枚いちまい、丁寧に手入れしていく。そういえば、こうやって踊る悪魔の絵があったはずだ。いや、あれは踊っているんじゃなく麦を蒔いていたんだっけか。
「最近の俺はマジで頑張ってんだよ。エナドリの数は減ったし、運動もしてる、ちゃんとご飯も食べてるしな!」
「俺が作るか冷凍食品、だけどな」
「でも一汁一菜、ちゃんとバランスよく、だ」
 そう言って子供のように叶が笑った。派手なコンタクトを着けていない顔は、いつもより幼く見える。だけど見た目に蝙され油断すればあっという間に呑み込まれて魂まで食われちまう。叶黎明とは、そういう男だった。そうだ、だから叶が言うよう、本当に心配に及ばないのかもしれない。
「ま、せいぜい長生きしろよ」
「当たり前だろ、敬一君」
 霧吹きがパキラの葉に水を吹きつける。
 視線は手元に向けたまま、叶が続けた。
「敬一君には死ぬまで、俺を観ててもらわないと。死ぬまで愛してもらわないと。せっかく楽しくなってきたのに、せっかく生きて帰ってきたのに。長生きしねーと、意味がなくなっちまうよ」
 植物の世話をしながら、叶が背を向ける。だというのに眼前の男が今、楽しそうに笑っているのだと、見えていないのに気配で分かった。賭場で叶と対峙してから、俺は観ていなくても叶がどんな顔をしているか分かるようになっていた。
 霧吹きの規則的な音が聴こえる。
 この男は案外、世話付きだ。今、葉を綺麗にされているパキラだって、鉢皿には濁りきっていない水が張られている。それでも毎朝、時間はバラバラでも叶は世話を欠かさない。
 そういえば、と思い出す。踊る悪魔、ではなく麦を撒く悪魔の絵。あの絵の麦は毒麦で、蒔いている悪魔はサタンだったはずだ。そこまで思い出し、眼前の景色と重ね、小さく笑った。
 賭場での叶は確かに悪魔的だった。どれだけ俺が思考を巡らせても、追いつけない速さで思考を読んでいく。魂を売ろうにも買ってくれる悪魔は俺の眼前に座っていて、絶望よりも絶望的だった。
 だけど今、目の前にいる叶はそんな雰囲気を微塵も纏っておらず、楽しそうに植物の世話をしている。
 賭場での叶は目が離せなかったが、今の叶も俺には充分、魅力的だ。
「オメーって、リスナーとかに重いって言われねえの?」
「敬一君は驚くかもしれねーけど、俺ってすっごく愛されてんだよな」
 なんだそれ、と苦笑し、馬鹿ばかしくなった。変な男のリスナーなんだ。観てる方だって変なのだろ。
 全てがアホらしくなった途端、体が思い出したように空腹を訴えてきた。ベッドから立ち上がり、まだ霧吹きを片手に植物の周りをウロウロしている叶に声を掛ける。
「キッチン、借りるぜ」
「律儀だな、敬一君は」
 まあな、と返事の代わりに叶へ手を振ってやる。この男もきっと、観ていなくとも俺がどんな顔をしているか分かっているはずだ。
 植物だらけの部屋を後にし、二人分の朝食を用意する為に俺はキッチンヘと向かった。


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