群れの王


 それは単純なゲームだった。
 古いシステムで構成された、アンティークなゲームだ。
 主人公は一匹の狼だ。狼は自分がいた群れとはぐれてしまい、仲間たちを探すために世界を駆け巡っている。
 つまりこのゲームは主人公である狼が仲間を見つけ出し、自分が居た群れに戻ればゲームクリア、というワケだ。
 ゲームには八つのフィールドが存在していた。主人公である狼はただ黙々と仲間の痕跡を辿り、飢えを凌ぎながらこの八つの世界を駆け続ける。アテンドもエネミーも存在しない。一匹の狼だけが、陽の差さぬ森や、白亜に輝く雪原、草花がモザイクの様に生い茂る丘、海鳥たちが姦しく群れる浜辺を、ただ彷徨う。そんなゲームだった。
 それはありきたりで目新しさもない、難しいギミックも明確なストーリーもない、単純なゲームだった。
 このゲームでプレイヤーが出来る行動はたった二つに限られている。狼を走らせること。狼を歩かせること。つまり進み続ける事だけ。このたった二つ、正確には一つの行動だけが、このゲームではプレイヤーに許された権利だった。
 だから大抵のプレイヤーはすぐに飽きてしまうし、配信サイトに上がっている実況動画も単発企画ばかりで数も少ない。それでも世間からタイトルを忘れられず未だネット掲示板の片隅で語られるのは、その素朴で単純なゲームシステムにあるシンプルな世界観からだろう。
 ネタバレは俺の信条に反する。だけど今だけは見逃してほしい。一番のネタバレだが、このゲームは主人公である狼が八つのフィールドを巡り終えたあと、唐突に死ぬことによって幕が閉じられるのだ。最後のフィールドは吹雪く高原で、とうとう仲間を見つけられなかった狼は痩せ細った体を横たえ事切れるのだ。そうしてホワイトアウトしていく画面に「END」の文字が浮かび上がり、ゲームはタイトル画面へと戻る。
 この突然の幕切れと演出が一部のゲームマニア達に大いにウケた。渋い演出に深いテーマが隠されていると評判を呼び、売り上げは伸びなくとも語りは途切れず。発売から十年以上経った今も、ゲームに隠されているであろうテーマや死生観を、ああじゃないかこうじゃないか、と。侃侃諤諤の考察がネットの片隅で交わされているのだった。
 実のところ俺は、このエンディングの理由を知っていた。というのも製作者と縁があって知り合ったからだ。因みに今も懇意にしており、時々カメラを通してお互い一方的な会話を交わしている。ああ、これは誰にも秘密で。
 曰く、あのエンディングになってしまったのは、制作途中で資金が底をついた上に共同制作していた仲間が音信不通となり、ヤケクソになった末に未完成のまま主人公を殺してゲーム開発自体を強引に終わらせた、との事だった。それでも小銭ぐらいは回収したかったらしく、めちゃくちゃになったゲームをそのままデータ販売したらしい。
 なんとも味気ない話だ。だけど現実ってこんなモンだ。
 事実を知った俺はそれでも一部のゲームマニア達と一緒になり、このゲームに隠されたテーマをああじゃないかこうじゃないか、なんて。ネットの片隅で語っては夜を明かしている。
 別に現実が残酷で無慈悲でも構わない。俺はそんな現実だって愛してる。だけど語る言葉に理想を詰めたっていいはずだ。俺が愛した形をそのまま愛でたって、誰も文句を言う権利はない。それに、夢を見ないと生きてるのがつまらなくなるだろ?
 
 
 彼を初めて見た時、弱々しい男だな、と思った。
 勿論、見た目の話じゃない。それに背格好で云うなら彼は俺ほどじゃないけど背が高く、筋肉質でガタイが良かった。それでも弱々しく見えたのは、必死に目を合わせ虚勢を張る態度の裏に陰湿で卑怯とも思える怯えの色があったからだ。
 その次にゲームの中の、あの狼と重なった。
 広くもない世界を彷徨い歩きながら、はぐれてしまった群れを探し続ける狼。制作資金が尽き、作者の勝手なヤケクソで殺されちまう、あの狼だ。システムに翻弄され、限られた手札で争い、好き勝手に語られる狐狼。
 獅子神敬一は懐かしい形をしていた。
 
 
 気がつけばソファーで寝ていた。それも他人の家で。上体を起こし、まだ眠気でフラつく頭を振る。あくびをひとつし、小さく伸びをしてから俺は立ち上がった。
 スリッパもない素肌の足で廊下を進む。家主を探していた。正確には、家主が居そうな部屋、だが。
 家主とは敬一君のことだ。まだ寝足りない俺は彼にベッドを使っていいか尋ねたかったのだ。実のところ彼の寝室がどこなのかは知っていた。だから勝手に借りてもよかったのだが、許可を得ていた方がなにかと便利だろうと思い、それで彼を探していた。
 敬一君の家はかなり大きい。宮殿みたいに長い廊下が続き、同じ面をした扉がいくつも並んでいて。だというのに住んでいる人間は少ない。だからか。この家には違和感がある。
 足を止め、首を回す。人探しにいい加減、飽きてきていた。やっぱり勝手にベッドを拝借しようか。
 マンション暮らしが長いと一軒家の間取りってのには無駄が多いと感じてしまう。いや、これは単純に敬一君の家に部屋が多いだけなのかもしれないけど。
 廊下に並ぶ扉の前を通り過ぎながら人の気配を探していく。だけど敬一君はどこにも居ない。耳を欹てるが生活の音すら無い。やがて俺は突き当たりの部屋へと辿り着いてしまった。敬一君の書斎だ。どうしてか俺は、敬一君はこの部屋に居ると確信していた。
 重い扉を押し、部屋へと入る。俺の勘は当たったようで敬一君は扉を背にして座っていた。カーテンの開け放たれた窓に彼の姿が映っている。うたた寝している様子はない。だが動く気配もなかった。
 不意に夕食の時と服装が変わっている事に気付く。俺が寝ている間に風呂へ入ったのか、敬一君はいつものセーターではなく黒のスウェットを着ていた。
「敬一君」
 名前を呼ぶ。だけど反応はない。敬一君は微動だにせず、なにかを考えている様だった。
「なあ、敬一君」
 側まで寄り、湯上がりの髪に触れる。まだ僅かだが湿っていて、俺の指先を薄く濡らした。突然触られた敬一君はというと、肩を跳ねさせ「うわっ」と小さく叫び、だというのに緩慢な動作で振り返り俺を見上げた。驚いたにも拘らず鈍い反応だ。ちょっとだが、敬一君の声には疲れた色が滲んでいた。
「起きてたのかよ」
「俺、声掛けたけど」
「マジか」
 形の良い額を摩り、敬一君が目を伏せる。
「悪い、集中してた」
「考え事?」
「ああ、まあ、そんなとこだな」
「なんか困ってるのか?」
「いや、別に……」
 ふーん、と相槌を打ちながら部屋を見渡す。
「なんだよ。人の部屋、ジロジロ見やがって」
「寂しいのか」
「……は」
 敬一君の家。それも書斎であるこの部屋は剥製が多く、また不自然な空間がいくつもあった。その理由を俺は知っている。彼は昔、沢山の債務者を買っては奴隷として侍らせ、自尊心を保つ為に様々なことをさせていた。だから、この部屋はその時の名残がある。
 今は一部の物好きを除き、大半の奴隷が彼の屋敷を去った。それでも過去は変えられない。時間は非可逆だ。屋敷に残る不自然な跡は、まるで傷痕のように現在も残っている。
 寂しいのか。彼にそう言ったのは、この部屋の余白があまりにも寒々しく感じたからだ。
 この部屋に彼を守ってくれるモノはひとつだってない。全ては過去になってしまった。
 彼は、獅子神敬一はかつて、群れの王だった。
「敬一君」
 彼の髪に再び触れる。金糸のような細く滑らかな髪だ。弄うように指先へと巻きつけ、柔らかく解けていく感覚に手を遊ばせる。俺が好きな、敬一君の髪。
「あんまぼーっとしてっと湯冷めしちまうぜ」
「言われなくても、もう寝るっつうの」
「ふーん……」
「なんだよ」
 ちらり、と淡い瞳が俺を映す。
「……なんだよ、叶」
 もう一度、繰り返す。その声が小さく、一瞬、怯えているのかと錯覚した。
 彼には俺がどんな人間に見えているんだろうか。もしくは、どんな存在に見えてるのだろうか。
「なあ、敬一君。一緒に寝よう」
 僅かだが間があり、今度は強い口調で訊いてきた。
「叶、オメー、風呂入ってねえだろ」
「必要?」
「当たり前だろ。汚い体でベッド使うんじゃねえ」
「えー……」
「それに、俺は風呂入ってんだよ」
「あ、一緒には寝てくれんだ」
 途端に赤くなる敬一君に苦笑し、隙ありすぎだって、と肩を小突いてやる。敬一君は不快を現すように真っ赤な顔のまま眉根を寄せた。
「揶揄ってんじゃねえって」
「そんなつもりねーけど」
「とにかく、不満があんなら帰れ」
「えっ!」
「なに驚いてやがんだよ」
「外真っ暗だし、深夜なのに、レイメイ君をほっぽり出す気かよ!」
「タクシー使えやいいだろ」
「アシの問題じゃねえって!」
「じゃあ、なんだよ」
「慈悲とか思いやりってモンが敬一君には無いのかよーっ!」
「風呂に入ればいいだけだろ」
「敬一君のひとでなしっ!」
「あんま大声出すなって」
 敬一君の注意を無視し、俺は手振り身振りを加えて訴えた。
「なあ、今日って自分ちと敬一君の家しか行ってないんだぜ」
「外出てんじゃねえかよ」
「一回だけじゃんか」
「つか毎日入れよ」
「今、常識の話してないよな」
「じゃあ、なんの話してやがんだよ」
「俺の話してんの」
 はあ、と敬一君が首を捻る。もっと俺のこと理解してくれよ!
 だけど不満の声を上げる俺を適当にあしらい、敬一君は大義そうに立ち上がった。
「……叶」
 手を差し出される。その手を取れば、流れのまま、ほら、と手を引かれた。
 俺を連れて行こうとしているのか。弱い力が俺の手を引く。いつでも振り解けそうだ。
 俺は進む事も戻る事もせず、敬一君の手を眺めていた。傷痕の濃い手を。
「いつまでも突っ立ってんなよ」
 顔を上げる。敬一君は俺に、寝巻き貸してやるから、と困ったように云った。
「風呂、敬一君が入れてくれんの?」
「はあ?」
「じゃないとモチベ上がんないって」
「そこまで世話焼く気ねえよ」
「俺のモチベ上げる気、ある?」
「なんでオメーのモチベをこっちが上げなきゃなんねえんだよ」
「仕方ないなあ」
「黙って風呂行きやがれ」
 背中を、繋いでない方の手で叩かれ、不承不承と従う。だけど半歩進んだ所で立ち止まった敬一君は、こちらを振り返らないまま、まるで独り言のように「まあ、その、オマエがどうしてもって言うなら」と呟いた。
「……」
「な、おい、なんか言えよ……オメーから言い出したんだろ」
「確かに俺から言ったけどさ」
 つくづく甘いよなあ。敬一君は。こっちが困ってしまうぐらい甘い。陰湿なまでの警戒心と恐れにも似た臆病さから息を潜めて此方を伺う。だというのに、強請れば易々とその懐へ他人を招いてしまう。それとも俺だからか。俺が特別許されていると、そう勘違いしちまってもいいのか。この自意識は自惚れでも間違いでもないのか。
 敬一君は、彼は、どうして債務者を買っては奴隷のように侍らせ、この屋敷に繋いでいたんだろうか。どうして彼は、それらを外へと放ってしまったんだろうか。群れの王のままでは駄目だったんだろうか。先に進むには、居心地の良い群れから離れなければならなかったのか。彼の選択は、群れからはぐれてしまったのと、どう違うんだろうか。
 俺に背を向ける。その体を後ろから抱きしめる。
 強烈な現実が実感として腕に収まり、安堵からか、ふう、と息を吐いた。風呂から出たばかりの、柔らかな髪の匂いが俺の鼻腔を擽る。
「敬一君って、俺に甘いよな」
「オメーが面倒くせえ事ばっか言うからだろ」
「面倒くさいなら無視しちまえばいいだろ」
「無視して大人しくなるタマかよ、オメーは」
「自分の優柔不断を俺に押し付けるなよな」
「抱きつきながら喧嘩売ってんじゃねえって」
「売ってる気ねーけど」
「どの口が言ってやがる」
「それ、フリかよ?」
「だと思うなら、どうする」
「……敬一君、こっち向いて」
「……ほら、面倒くせえだろ、オマエ」
「いいから、こっち観ろよ」
 敬一君がゆっくりと、時間をかけて振り向き、俺を観る。淡い色の瞳に紫色が差す。形の良い顎を掴み、その唇を奪った。
 時間をかけて解けてゆく。そんなキスだった。形を確かめるように舌でなぞり、求め、追うように唇へと触れる。触れ合う肌から強烈な現実への熱が、俺の内に火を灯してゆく。
 かつての彼を、俺は知らない。一人ぼっちになってしまった彼しか、俺は知らない。願わくは群れの王だった彼とも会いたかった。それとも、かつての彼は俺を魅せはしなかっただろうか。
 腰を抱え引き寄せれば、傷痕の目立つ手が俺の胸を押し、互いの体を強引に離した。
「……敬一君」
「……風呂、まず入れよ」
「うん」
「……」
「……」
 言葉の先を促すよう、敬一君の目を覗き込む。羞恥で揺れる瞳が俺を捉え、厚みのある唇が言いづらそうに歪んだ。
「……」
「……」
「……そしたら、続き、いいからよ」
「わかった」
 頷き笑顔を向ければ、呆れたような、それでいて慈しむように敬一君も笑った。
 綻んだ彼の口許にもう一度、唇で触れた。
 
 
 どうして、あの狼は死んでしまったんだろうか。
 俺が思うに、あの狼は寂しくて死んじまったんだ。
 仲間に巡り会えず、彷徨う世界には果てがなく、希望を絶たれ絶望に塗れ、そして孤独によって死んだ。もし、あの狼に種族が違っていたとしても友達が居たならば、あんな何もない場所で死んじゃいなかっただろう。
 
 俺たちって、どうしようもないぐらい他人だ。思想も哲学も倫理や常識さえ違う。だから同じ群れを成す事は出来ない。だけどお喋りをしながら一緒に歩くぐらいは、できるんじゃないかな。それに俺は、敬一君を好いている。傷だらけな彼を愛している。だからエンディングを観届けるぐらいは、望んだっていいだろう。


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