流るる
停車中の窓から、頬杖をついて外を見る。
昨晩まで雨だったというのに、今日は朝から遮る雲ひとつない晴天だった。
男を一人、待っていた。今、車を止めているマンションの、どこかの階に住んでいるはずの男を。
ゆっくり息を吸い、ふ、と肺から吐く。終わったというのに、まだ幽かな緊張が俺の体に残っている。竦んでいた肩を緩めるよう、首を回した。
時計を確認し、ここに来て五分も経っている事を知る。だけど待ち合わせ時間はまだ先で、つまり俺が予定よりも早く来すぎただけで。
車窓の外へと目を転じる。世界は平和で、よく手入れされていて。前よりちょっとだけ好きになれる気がした。
目を閉じ、そんな世界に身を委ねる。待ち合わせまであと五分。短くて長い時間だ。
だから、まあ、のんびりと待つことにした。
どこか遊びに行こうぜ、とは叶からの提案だった。お疲れ様会、なのだとか。
俺と叶はつい先日、瞬くほど短く死ぬまで忘れられない密な時間を過ごした。点火していく蝋燭に焦らされながら、血で汚れながら、死の淵を覗き、己を見失いかけ、恐ろしい幻影まで観て。だけど叶の計らいで、俺たちはどちらも命を落とさず再び平穏な世界へと戻ってきたのだった。
コン、と固い音がした。片目を開け見れば、叶が窓外に立っていた。助手席側へ身を乗り出し扉を開けてやる。するり、と。長躯が蛇のようなしなやかさで助手席へと座った。
「おはよ、敬一君」
「……今日はシンプルじゃねえかよ」
「オフだからな」
へえ、と相槌を打ちながらシートベルトを掛け直す。そんな俺に倣い、叶もシートベルトを引っ張り掛けた。
今日の叶はいつもの奇抜さは鳴りを顰め、裸眼に黒のパーカー、ジーンズといった出立ちであった。髪は後回しにしたのか、まだ緑のままだ。いつもの格好でなくとも充分、派手な姿をしている。それでも普段と比べれば地味に見えるのだから、慣れとは恐ろしい。
「体、大丈夫だったか?」
ヒーターの温度を上げながら問う。大丈夫、とは互いに毒を吸い血を吐いたからだった。
「敬一君は?」
「一応、安静にはしてたけどよ。なんともなかったぜ」
「マジかよ。こっちはしばらくエナドリしか飲めなかったぞ」
「それは別の問題があるだろ」
叶の食生活に呆れ、今更か、と思い直す。コイツの食生活には村雨も苦言を呈していた。だというのに治らないのだから、これは不治のモノだろう。
「で、どこ行くよ」
叶が俺を見る。その目には光が星のように差していて。まるでプレゼントを前にした子供のようだった。
「敬一君となら、どこでも」
木々を越し、街を過ぎてゆく。真昼の太陽は燦々と輝き、まるで世界に夜はないと錯覚させる。
俺たちは結局、叶のマンションからそう遠くない中華屋に向かっていた。とりあえず腹拵えをしてから。先の事は、その後に考えよう、と。でも結局、なんだかんだ言ってどちらかの家に行き、映画を観たりゲームをしたり、ただ駄弁ったりして過ごしてしまうんだろう。
俺たちは以前までと違い、ひとつ、線を越えた。気がする。関係が変わった訳でも、距離が変わった訳でもないけど。それでも前とは違う、と。直感がそう語っていた。
だからか。外へと駆け出す足が軽く感じる。この世も案外悪くないのだと、思える気がしている。
陽の光が眩しい。目を細め、道の先を見る。
強すぎる日差しが、助手席に座る男の、明るすぎる緑を照らす。
今日はシンプルだ、なんて言ったが。やっぱり派手な男だ。過去の自分には、こんな男と関わりあう未来がちょっとでも視えていただろうか。いや、断言できる。俺は叶のような人間と出会うなんて、僅かだって予想できてはなかった。
運命など当てにならない、と心底思う。あの日、あの場所、あのゲームで、派手な緑髪の男に殺される、と。そう魔が差した瞬間さえあったのに。蝋燭が灯った刹那、俺は何度も死を巡ったというのに。だというのに今は叶と二人、飯を食いに出かけている。
なんだか変なことになっちまったな、と。独りごち笑った。
「いいことあったか?」
「……オメーと飯行くの、久しぶりだからかもな」
「可愛いこと言うじゃん」
「まあ、たまにはな」
温まり過ぎた車内の温度を下げるため、ヒーターに手を伸ばす。薄らとだが汗をかきはじめていた。
「髪、戻さねえの」
なんとなく、気になったので訊いてみる。叶は自身の前髪を指で摘みながら返した。
「敬一君は、どっちの方が好き?」
どっち、と聞き返され苦笑する。俺を殺そうとした緑が選択肢にあるとでも思ってるのだろうか。
「緑も嫌いじゃねえよ」
窓を開け、車内に風を呼び込む。スピードに乗った風が頬を撫ぜる。緑の髪も、風に撫ぜられ揺れた。
「けど、いつものオメーも、まあ、嫌いじゃねえよ」
叶がどんな顔をしているのか。運転している俺からは見えない。だけど笑っているのだと分かった。柔らかく、優しく、時々みせる素顔の叶で。
「愛されてんだな、俺って」
図々しい男だ。けれど訂正するつもりもなかった。
伝わっているのなら、言葉はいらない。お互いが分かっていれば、それだけで。
赤信号を挟んだ先に目的の中華屋が見えてくる。何食う。そう問えば、まあ店で決めようぜ、と返された。