お題「花火」
ドン、ドン、と空砲のような音が聞こえた。
真経津邸からの帰り道、信号待ちをしていた車内での出来事だった。
何事かと思い窓を開ければ、助手席の村雨が「花火だ」と、俺が答えを得るよりも先に言った。
「見たのかよ?」
開けた窓から半分だけ顔を出し、ビルで埋まった都会の空を見上げる。だが花火の光もなければ煙も無い。音だって、先ほどの二発だけ。そもそも、ここら辺に花火を上げれる場所なんてあっただろうか。
「匂いだ。火薬の匂いがする」
眼鏡のブリッジを押し上げながら、再度、村雨が言った。
「マジかよ。そんな匂いしねえけど」
「あなたの鼻が鈍いだけだ、マヌケ」
「誰の鼻が鈍いって? テメーが神経質すぎるだけだろ」
売り言葉に買い言葉で返せば、何が可笑しかったのか、目を細めた村雨が密やかに笑う。相変わらず、調子が掴めない男だ。いや、俺が分かり易いのか。
「さっきまで落ち込んでいたクセに」
「は」
「元気になったものだ、と思ってな」
「は、あ、あのなっ」
点火したように顔が熱くなる。
ふふふ、と薄い唇が弧を描いた。
「落ち込んでねえって、さっきから言ってんだろ!」
抑えきれずに声を荒げてしまったのは、村雨の言葉が半分は当たっていたからだ。正しく、俺は落ち込んでいた、少しだけ。
そんな俺を「どうだか」と、嘘を許してはくれない男が眼鏡の奥、瞬きもせずにじっと注視する。
「寂しい、と言ってしまえばいい」
「寂しくねえって、何遍言わせんだよ」
信号が青へと変わる。村雨から視線を外し、前方へと意識を無理やり持っていった。それでも村雨の口は止まることを知らない。
「素直さは人間が得れる数少ない美徳の一つだが」
「天堂みてーなこと言ってんじゃねえよ」
脳裏に自称神様の友人が過ぎる。頭を振り、変な友人を追い出した。
「なに、そう不安がるな」
「話聞いてたかよ?」
村雨はさっきからずっと同じ調子だ。密やかに笑い、俺の反応を可愛がっている。それが分かっているからこそ反発してしまう。
「たったの一週間だ」
「さっきも聞いたっつうの」
「距離もそこまで離れてはいない。会おうと思えばいつでも会える」
「会わねえって」
「夜には電話をする。あなたは必ず出ろ」
「命令すんなって」
獅子神。低く静かな声が俺の名前を呼ぶ。真剣な声音だった。一瞬で変わってしまった空気感に、思わず口を噤んだ。
「こうでもしないと、あなたは電話すらかけてきやしないだろ」
そう言われ、黙る。村雨の言った通りだったからだ。また当たり。俺が分かり易いのか、村雨が鋭すぎるのか。どっちもなんだろう。なんだか意固地になっていたのが恥ずかしく思え、先とは別の意味で顔が熱くなる。
「……仕事だろ。仕方ねえだろ」
「仕事だからといって、あなたの気持ちをおざなりにするような、そんな人でなしだと誤解されるのは癪だ」
「そんな誤解、したことねえよ」
「だとしても、私が不愉快だ」
「……」
数秒、車内に沈黙が降りる。
「電話、くれんだろ」
「あなたが出てくれるのならな」
「約束してやるよ。だから電話、寄越せよ」
「……承知した」
瞬間、ビルの狭間で火花が散った。花火だ。都会の真ん中、薄い夜空に小さなが花火が上がっている。
「あんなとこで上げてたのかよ」
「ここからだと随分と小さいな」
「行ってみるか?」
「あなたの家とは反対の方角だが」
「別にいいだろ、寄り道ぐらい」
適当な場所で曲がり、進んでいた道を引き返す。村雨が「寄り道、か」と呟いた。
「もしかして帰りたかったか?」
「いや、違う。なんだ……」
口篭っているのか、言葉を探しているのか。珍しく村雨の視線が忙しない。
「なんだよ、不満か?」
「そうではなく……その、寄り道なんて初めてなんでな」
「……もしかして、花火も見るの初めてか?」
「マヌケ。だから言いたくなかったんだ」
「悪かったって」
そうは言うが、背の高いビルによって現れたり消えたりする花火を、村雨は熱心に見ていた。
俺も分かり易いが、村雨だって、なんだかんだで分かり易いのかもしれない。