お題「シャワー」


 体の内側に澱む熱を冷ますよう、頭から水をかぶる。
 髪や顔を伝い、水が流れ落ちていく。目を開けば、滲んで歪んだ視界に素足が映った。髪を掻き上げ、指に絡まり抜けた髪を流す。排水溝へと、糸のような髪と一緒に水が吸い込まれていく。流れが目で分かるほど、どこまでも透明で綺麗な水だ。
 不意に何時ぞやの光景と重なる。村雨と過ごした夜の光景だ。もう何度も繰り返している。だというのに思い出す度、まるで初夜のような気持ちになった。触れる肌も、熱を分け合うような行為も、どれだけ繰り返しても慣れる事はない。そんな初々しい熱を以った夜がどうしてか、己のなかで再生されていく。せっかく冷めていた体がまた火照り、自分の素直さに呆れてしまった。まだ昼だというのに、なんとも能天気な脳ミソだ。
 頭を振り、シャワーの水を止める。体を適当に拭き、浴室を後にした。

「あなた、どうして半裸で居る」
「……来るなら来るって連絡入れろよ、村雨」
「入れたが」
 はあ、と疑いながら携帯を確認すれば、二分前にメッセージが送られていた。送り主は言うまでもなく眼前の男。何故か俺の家に上がり込んで勝手にジュースを飲んで寛いでいる村雨礼二、其の人だった。
「いや、直前すぎんだろ」
「湯浴みか」
「おい、無視してんじゃねえって」
「この暑さランニングなど、正気ではないな」
「なんで知ってんだよ」
「玄関を見れば分かる」
「あっそ」
 聡明なお医者様がどうして我が家に来たのか。聞きたいことはあったが、それよりも喉が渇いていた。キッチンへと向かい冷蔵庫から水のボトルを一本、手に取る。キャップを開け勢いよく呷った。体の内側を、冷たい水が通っていく。
「獅子神」
 真後ろで声がして振り返れば、寛いでいたはずの村雨が背後に立っていた。思わず大きな声が出た。
「っわ、びっくりした。音もなく後ろに立ってんじゃねえよ」
 驚き慌てる俺を醒めた目がじっと見る。そんな男の手にあるグラスは空になっていた。
「もう飲み切ったのかよ」
「おかわりをいただこう」
「おかわりをいただこう、じゃねえって」
 そう返したが、空になったグラスを満たしてやる為、冷蔵庫を開けた。だが、ジュースの入ったボトルも紙パックも、どこにも見当たらない。
「……あれ」
「ジュースなら、先ほど私が飲んでいたもので最後だったが」
「早く言えよ、それ」
 冷蔵庫の扉を閉め、振り返る。村雨は、聞き分けのいいガキみたいにグラスを持ったまま立っていた。
「……他になんか、湯でも沸かして淹れてやろうか?」
「いや、あなたの飲みさしをいただこう」
「飲みさしって……」
 これの事か、と中身が半分まで減ったボトルを振る。俺の手元を見た村雨は静かに頷き「それだ」と答えた。
「いいけどよ、ただの水だぜ」
「構わん」
 ボトルを手渡してやれば、骨ばった手がキャップを緩め、先ほどの俺と同じように水を呷る。そんなに喉が渇いてたのかよ、と呆れたと同時に聞き逃していた事を思い出した。
「そういや、オメーなんでここに居んだよ」
「……駄目だったろうか」
「駄目とかじゃなくて、前もって連絡くれてたら、こうやってジュース切らしてる事もなかっただろ」
「連絡は入れた、とさっきも言ったはずだ」
「いや、だから直前すぎんだって」
 村雨が反論したげにムッと口を尖らせ、それから考えるように目を伏せ、答えた。
「あなたに会いたかったから、会いにきた」
 また、どうしてか、夜を思い出していた。ボトルの水はもう、わずかしか残ってはいない。
「特に用事は無い。ふと、あなたを思い出してな」
「ふーん……」
 先ほど、シャワーを浴びている時に思い出していた夜の熱が、再び俺の元へとやって来る。冷ましたばかりの体が火照り、能天気な脳ミソが本能へと訴える。今すぐ、眼前の男の手を取れ、と。
「それで、会いに来た。特に意味はない。あなたを思い出したら、会いたくなった」
「そう、かよ……」
「……まだ伝わらんか、獅子神」
 眼鏡の奥で片目が、俺の様子を伺うように開けられる。まだ陽が高く昇る昼だというのに。脳ミソが能天気なのは俺だけではなかったらしい。
「……先に二階上がっとけ。髪、乾かしたら行くからよ」
「承知した」
 離れ際、触れるだけのキスをし、俺たちは小さな約束を抱えて背を向けた。


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