お題「ファミレス」
ファミレスのテーブルからメニューブックが消えて久しい。どの店、どの系列に行っても卓上に置いてあるのは黒く無機質なタブレットで、ラミネートされた紙が置いてあったとしても季節限定商品の案内ばかりだ。光陰矢の如し、とはよく言ったもので時の流れは無情なほど早い。かくいう私も気が付けば、正反対な性格をした年下の男と一言で説明できない関係になっている。人生、なにがあるか分からない。有為転変、諸行無常、だ。
冬の街を歩き続け辿り着いたファミレスの店内、その奥、窓際の席に通されれば、先に待っていた男が座ったまま片手を上げて挨拶する。獅子神だ。コートを脱ぎ丸めて持てば、男の向かいの席へと座った。
「なにか頼んだのか」
「飲み物だけな。オメーの分も」
ありがとう、と礼をしつつコートを椅子の背へと掛ける。
季節はすっかり冬へと変わってしまった。外気によって芯まで冷えた手を擦り合わせ、ファミレスの暑すぎる暖房の恩恵に与る。爪の先まで氷のようだ。
「つってもセルフだから、今から取りに行こうと思ってよ」
「そうか、なら」
はっと気付き、言葉が止まる。自然と卓上のラミネートされたメニューを開いていた。間違って手に取っていたメニューを戻し、初めから間違っていなかった素振りでタブレットを手に取りなおす。
「……オメー、毎回間違えるよな」
「マヌケ、忘れろ」
「へい、へい」
私の苦言に獅子神が適当に返事し、立ち上がる。視線を寄越せば、飲み物、とぶっきらぼうに訊いてきた。
「オレンジジュースをいただこう」
「りょーかい」
オーダーを受けた獅子神がくるりと私に背を向ける。一瞬、懐かしい姿と重なり手元のタブレットを落としかけた。
「どうしたんだよ、村雨」
何か違和を感じたのか、獅子神が首だけを動かし振り返る。
「いや……」
「ふーん。ま、いいけどな」
獅子神が首を捻りながらセルフサービスのドリンクバーへと向かう。その背を眺めながら少し過去の記憶を、私の脳は勝手に反芻していた。
昔、ファミレスは兄貴の城だった。
年頃になると大多数のマヌケな思春期と同様に、兄貴も家へあまり帰らなくなった。といっても危ない大人や違法な場所に身を置いていた訳ではなく、ただ単純に外遊びが多くなっただけではあったが。月末、手持ちの金が少なくなると、兄貴はよくファミレスで時間を潰していた。そんな兄貴に誘われ月末は、私も夜のファミレスへと赴きホイップ多めな冷凍のパンケーキを季節限定から順に食べたものだった。たったそれだの記憶だ。それだけの記憶を、私の脳はまるで大切な荷物の包みを開くよう、丁寧に丁寧に反芻したのだった。
タブレットを操作し、ステーキメニューから吟味していく。獅子神は軽食か、もしくはサラダだけだろう。昼食以外にもお菓子なんかをつまんだとはいえ、仕事終わりの胃は絶食していたのではと錯覚するほど飢えている。デザートメニューへとページを変え、ある程度目星を付けたところでグラスを二つ持った獅子神が戻ってきた。
「決めたのかよ」
「ああ。あなたは?」
「いや、俺は飲み物だけで」
「家で夕食を摂ったのか?」
「まあ、軽くだけどな」
「そうか」
ほらよ、と獅子神が私の前へグラスを置き、元いた席へと腰を下ろした。
獅子神をファミレスへと誘ったのは私だ。つい先日の賭博で自称神の大マヌケな男略してマヌケ神とタッグマッチを行い、久々に兄貴を思い出したのだ。いや、この男とタッグマッチを行った時も兄貴のことを思い出していた。兄の記憶は要所々々で私の前に現れる。現れ、色々な記憶の包みが開かれ、その度に私を懐古の旅へと連れていくのだ。そしてやはり懐かしくなった私は、獅子神をファミレスへと誘ったのだった。
「すまなかったな、無理に誘ってしまって」
「いや、別に。嫌いじゃねえよ、こういう場所も」
獅子神の目を見る。嘘ではないのだろう。だけど顔に、私に誘われたから来たのだ、と素直に書いてあった。無愛想の下で小さく笑う。出会った当初の獅子神はここまで素直ではなかったはずだ。
いや、それは私もだ。
自身の懐かしく捨てがたい記憶に誰かを伴いたいなど、昔の自分なら考えることすら、いや、そういった自分を想像する事自体無かったはずだ。
時間は、弓から放たれた矢のように早く過ぎてゆく。同時に、時間は人間を変質させてゆく。同じ時間にも、同じ形にも、留まり続けれる人間などいないのだろう。
顎を手で摩り思案する。なら、もう少し過去の自分が想定していなかった自分へと変わっても良いだろうか。タブレットを操作し、シェアメニューにざっと目を通す。それから獅子神へと提案してみた。
「ポテトを分ないか」
数秒、獅子神が停止する。美しく見事な停止だった。思考も止まっていた。失礼な男だ。
「……珍しいな、村雨、オマエ」
「失礼な男だ」
「勝手にケーキの苺、食ってた事もあったのに」
「過去の話だ」
「事実に変わりねえだろ」
「今、私があなたにシェアを提案しているのも、また事実だ」
「オメー、腹減りすぎてあんま頭回ってねえだろ」
「分けるのか分ないのか、どっちだ」
獅子神が呆れたように笑い、私と同様に顎を手で摩って逡巡する。それから「まあ、いいぜ」と答えた。
「味付けは?」
「今って味付けとかあんのかよ」
タブレットのメニュー画面を獅子神へと向け、数種ある味付けを見せてやる。散々迷ったにも関わらず獅子神はプレーンを選んだ。他にもメニューをカートへと突っ込んで注文を終えた私たちは、机の端にタブレットを立て掛け、黙って各々の用事をしていた。
不意にポツリと獅子神が呟く。
「ファミレスでポテトとか、学生ぶりだな」
「そうなのか」
顔を上げれば独り言のつもりだったのか、私の相槌に驚く獅子神がいた。
「え、っと」
「よく来ていたのか?」
「まあ、金がねえ時は」
「聞かせて欲しい、あなたの話も」
「話って、別に面白くねえぞ」
「思い出話に面白さなど求めていない」
また、過去の自分が想定していなかった自分だ。他人の思い出話に興味を持つなんて。想定外だが、悪くはない。兄貴が脳裏に過ぎる。兄貴もよく、こうやって私の話を訊きたがった。変わり映えのない、つまらぬ学生生活をおくる私の話を。今ならちょっとだが、その気持ちが分かる気がした。
「じゃあいいけど、途中でつまんねえからって飽きんなよ」
「あなた、私をとことん失礼な男だと思っているようだな」
私の言葉に獅子神が苦笑し、悪かったってと謝る。それから、ぽつりぽつりとファミレスの思い出を話し始めた。
最初に驚いたのは意外にも獅子神だった。
けたたましい音楽がファミレス店内に響いた。すぐにその音楽は、沢山の食事を乗せた猫型の配膳ロボットなのだと気がついた。気がついたが、けったいな存在が近づいてくる事実に変わりはない。猫型の配膳ロボットはご機嫌なマークを顔らしきモニターで点滅させながらノロノロと、それでいて奇怪な音楽を止めずモーセの如く客席をかき分け近づいてきていた。正気じゃない。
「おい、村雨、なんか来んぞ」
「なんだ、あれは」
「前に居たかよ、あんなの」
「知らん、記憶にないが、というより正気か?」
戸惑う私たちに構わず猫型の配膳ロボットが近づいてくる。ぐんぐん、ぐんぐん、歩みを止めず近づいてくるのだ。コンセプトが理解不能で恐ろしい。だいたい、この不安を掻き立てられる音楽はなんだ。
奇々怪々な猫型の配膳ロボットはテーブルの前で止まると、恐ろしい音楽もピタリと止めた。そして、子供か女性かわからない声で「ご注文の品をお持ちしました♪」と誇らしげに叫んだのだった。悪夢すぎる。
「……」
「……」
「……いや、俺たちがセルフで取んのかよ」
「……そ、のようだな」
配膳ロボットへと恐るおそる近づき、注文した商品をとっていく。配膳台が空っぽになったロボットと暫く無言で向き合い、タブレットの完了ボタンに気がついた獅子神が力強くタップすれば、猫型の配膳ロボットはクルクルと回りながら、また狂気のような音楽を鳴らしてキッチンへと消えていった。まるで小学生が考えた怪談だ。それが私たちの食事を持ってきたのだ。夢のような光景に目が回る。勿論、悪夢の方だ。
「……なんか、俺らが知ってるファミレスじゃねえかも」
「……時間の流れは恐ろしいな」
「あー……だな」