夏日のなか


 夏の日を照り返すアスファルトは白く、そこに落ちる建物の影は墨のように黒い。街路樹はどこまでも青く、たまに吹く風は肌を焼くほど熱い。夏だな、なんて面白みのない感想が、何度も何度も額をつたう汗と共に出る。夏だった。それも、陽が一番高い真昼の。
 珍しく、車ではなく自分の足で外を歩いていた。そこに特別な理由はない。ただ、待ち合わせの場所にある駐車場はどうにも使い辛かったし、最近用事が立て込んで外に出ていなかったから、運動がてら徒歩にした。それだけだった。
 それにしても、暑すぎる。先ほどからすれ違う人間は皆ノースリーブであるし、男は半ズボンばかり。揃えたようにサンダルで、今から海にでも行くのかよ、と言ってしまいそうなほどに軽装だ。対して自分は半袖シャツにジーンズといった格好で、完全に今日の気温を舐めた服装をしている。そういえば、家を出る前に庭掃除をしていた園田も、薄いシャツに半ズボン、サンダルで夏休みの子供みたいな格好をしていた。あれはあれで最適解だったのか。
 ふと、視界に緑色のオーニングテントが入る。顔を上げれば「珈琲」と書かれた看板と一面がガラス張りの小さな店が見え、同時にカウンターに立っていた女と目が合った。女は緑色のエプロンを着ていて、説明されなくても店員なのだと察せた。店員が笑顔で会釈する。それを、夏の日差しを浴びた頭でぼんやり見ていた。
 ほぼ自動的だった。欲は脳を通さず直接、俺の足へと指示を飛ばす。とにかく熱かったし、肺に入る酸素は焼けていたし、汗は止まることを知らない。思考は溶けきり、暑さを凌ぐ事しか考えられなかった。
「いらっしゃいませー」
 ガラス扉を押し開け、店内へと入る。女の少し間延びした声を聞きながら、クーラーの冷気を頭の先から足先へと全身に享受していく。涼しい。助かった。
「お持ち帰りですかー、店内ですかー」
 店内をぐるりと見渡せば、小さなテーブルと椅子が三セットほど窓際に並んでいる。時間を確認し、一瞬考えてから「お持ち帰りで」と答えた。
 カウンター越しにメニュー表を差し出され、上から自分の嗜好と照らし合わせていく。下まで確認してから、結局、一番上にあったメニューを指差す。「アイスコーヒー」と言葉にしてから、眼鏡の男が脳裏に過ぎった。「二つ」アイツもコーヒーでいいよな。それとも甘い方がよかったか。まあ、いいか。
「フードはいいですかー」
「あー、いや、別に」
 別に、と答えたのに俺は何を思ったのか、横へと逸らした視線の先にシナモンロールを見つけてしまった。こんがり焼き上がった生地に、真っ白なグラサージュがたっぷりかかっている。同時に、先ほど脳裏に過った男が、今度ははっきりとしたイメージをもって思考の中へと現れた。買え、といつものデカい態度で俺へと訴えてくる。うるさい、うるさい、黙れって。
「……シナモンロールも、ひとつ」
 あなたはいいのか。頭の中でイメージだけの男が聞いてくる。俺は制限中だから、いいんだよ。ほっといてくれ。
「お待たせしましたー」
 店員がマチの広い袋を手渡す。それを受け取り、俺はまた真夏の外へと出た。
 
「遅かったな」
「時間ぴったりだろうが」
「待ち合わせとは、五分前に着いているものだろ」
「じゃあ今度から俺の家に直接来いよ」
 ふ、と村雨が笑う。それから「冗談だ」と言って手に持っていたタブレットをポケットへと仕舞い込んだ。
 待ち合わせ場所は村雨が勤務する病院だった。広い施設の門近く、停車場から歩いてすぐの外広場、木陰の中にあるベンチに腰掛けて村雨は待っていた。
 勤務後の村雨は長袖の黒いシャツに、上と同じ真っ黒なスラックスを身に纏っているが、汗ひとつかいていない。激務で体がぶっ壊れたのか、それとも体が機械で出来てんのか、それともギャンブルをやりすぎて神経がおかしくなったのか。色々と考えたが、どれも馬鹿馬鹿しい妄想に思え、考えるのをやめた。
「獅子神、それは私にくれるのだろ」
「え」
 ああ、と手元のアイスコーヒーへと意識がいく。袋からひとつ取り出し、手渡してやる。
「ほら、感謝しろよ」
「ありがとう」
「あと、これも。テメーにやるよ」
 シナモンロールの入った紙袋も手渡してやれば、村雨が袋も開けていないのに「シナモンロールか」と当ててきやがった。相変わらず、鼻がいい。そんな男の隣へと腰掛け、やっと一息つく。
 額の汗を拭う。それから自分の分のアイスコーヒーを袋から取り出し、木陰の中で二人、肩を並べて微かな涼を過ごす。冷えたコーヒーが喉を通れば、ほんのちょっとだが汗が引いた気がして。その感覚が心地よく夢中になって飲んでいれば、持っていた容器の中で氷が鳴った。
「あ、やべ」
 透明のプラスチック容器の中で、コーヒーは半分を切っていた。氷は角が無くなっていて、四角に成り損なったみたいな歪な形をしている。
「そんなに暑いか?」
「俺は駅から歩いて来てんだよ」
 村雨のコーヒーは全然減っていない。顔色も先ほどから変わっておらず、この暑さでも平然としている。
「テメーは暑くねえのかよ」
「暑い」
「じゃあ、なんで長袖着てんだよ……」
 院内は寒いからな、とアイスコーヒーを啜りながら村雨が答える。ああ、と納得し、だけど汗ひとつかいてないのはどういう事だよ、とまた思考が振り出しに戻る。
 プラスチックの容器についた水滴が手をつたい、肘まで垂れてジーンズへと落ちる。
 ほら、と肩を叩かれて振り向けば、シナモンロールを二つに分けた村雨が居た。
「あなたの分だ」
 少しだけ考え、主にカロリー計算の方だ、それから村雨の優しさを受け取ることにした。
「ん、ありがとな」
 夏に甘いモノは胃がもたれそうだな、なんて思いながら自分で選んだシナモンロールを口の中へと放り込む。甘い。
 横目で村雨を盗み見れば、もそもそと咀嚼している。何も言ってこないが、何も言ってこないからこそ美味しかったのだと分かった。今度、作ってみてもいいかもしれない。
「それで、用事ってなんだったんだよ」
 今日、呼び出された用事について問う。今朝、突然連絡を寄越してきたのだ。それも電話で。急ぎの用事だと思ったのに、呼び出した当人は木陰でのんびりしている。なにがなんだか。
「もう済んだが」
「はあ?」
 また、なにがなんだか、だ。もう済んだって、何もしてないだろ。俺がここに着いてからやった事といえば、一緒にシナモンロール食ったことしかしていない。
「済んだって、なにもしてねえだろ」
「言わせたいのか」
「何をだよ」
 村雨がじっと俺の顔を見る。小さな緊張から、居住まいを正した。
「あなたの顔を見たかっただけだが」
 数秒、考える為に黙ってしまった。それから、あのなあ、と怒ろうとした。が、相変わらずな滅茶苦茶さが可笑しく、笑いそうになる。
「それなら直接、俺ん家に来いよな」
 堪えきれずに笑えば、村雨も俺につられて笑った。


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