いつもより特別
約束していた時間より遅れる。
そう連絡しようと携帯を取り出し、それが院内用のデバイスだと気がついたのは、探しても探しても目当てのアドレスが無かったからだ。目を瞑り、自分がいつもより少し、いや随分と、気が逸っている事実に恥じ入る。
別にいいだろ、誕生日なんだからよ。
どこかで、いや脳裏で、獅子神の声がした。昨晩、実際に言われたのだ。誕生日を前に私の気持ちが浮ついているのを、いつもマヌケな男が珍しく見抜いた。そして、それから、別にいいだろ、なんて。誕生日なんだから。別に、誕生日なんかで浮ついている訳ではないのに。
鞄から私用の携帯を探し出し、今度はメールなんかではなく直接電話をかけた。コールが二回だけ鳴り、相手が「もしもし」とマヌケな声で電話を取る。
「獅子神、私だ」
『仕事終わったのかよ』
「ああ」
『お疲れさん』
袖を引っ張り、腕時計を確認する。あと二時間ほどで日を跨ぐ。
「一時間後にはそちらに着く」
『りょーかい』
早歩きで駅へと向かう。先程まで暖房の効いた病院に居たものだから、冷たい外気で鼻が痛い。マフラーを上げ、鼻先を覆った。
『そういや、真経津たちが明日の為にケーキ買ったってよ。二段になってるホールケーキらしいぜ』
「ひとの誕生日をダシに私欲を満たそうとするな」
『本人たちに直接言ってやれよ』
はは、と電話越しに獅子神の笑い声がした。随分とご機嫌らしい。
「そういうあなたも、何か隠しているみたいだな」
『……なんでバレんだよ』
獅子神が驚きとも呆れともつかない声で返す。マヌケめ。いつもより声のトーンが上がっていると気がつかんのか。そういう私も、いつもより早口気味になっているが。
『誕生日プレゼント。オメーに用意してやったんだよ』
「気を使わなくていいと言ったはずだ」
『気つかってねえから用意したんだろ』
意味が分からなかったが、そういうモノなのかと適当に納得した。いや、気を使わない間柄だからこそ、プレゼントを用意できた、という事か。
「……タクシーを拾って向かおう」
『焦んねえでいいから、ちゃんと帰ってこいよ』
ああ、と返す。電話の向こうで鍋が吹きこぼれる音が聞こえた。直ぐに「やべ」と、獅子神の声も。
「料理中にすまなかった」
『別に、構わねえよ』
「十一時には着くだろう」
『ん』
それじゃ、と電話を切ろうとした所で「あ、おい村雨!」と呼び止められる。もう一度、携帯を耳許へと近づける。
『誕生日おめでとうな!』
「……」
実を言うと、家族以外に誕生日を祝われるのは初めてだった。だから、なんと返せばいいのか分からなく。数秒ほど間をあけてから「ありがとう」と、無難な返事だけをして電話を切った。
「……浮かれているな」
ありがとう。そう返した自分が微笑んでいた事実に、電話を切った後になって気がついた。口角をさすり、いつもの表情へと意識する。まったく、今日から三十だというのに。
「……」
誕生日なんかで浮ついている訳じゃなかった。初めて家族以外に祝われるのだから、どうすればいいのか分からなかったのだ。いや、嬉しかったのかもしれない。
「……まあ、別にいいだろう」
浮かれていたって、別にいいだろう。
獅子神曰く、誕生日なんだからよ、なのだしな。