BPM80


 落ちるような感覚のあと、全身の血の気が引く。極度の緊張と恐怖の中で目を覚ませば、汗をかきすぎた体にシャツがぴっちりと張り付いていた。肩で息をし、咽せながらも酸素を求める。上体を起こし、全てを閉ざすよう手で顔を覆う。ようやく、落ち着ける事ができた。
「悪い夢でも見たか」
「え、ああ……村雨」
 視線だけを寄越せば、寝惚け眼の村雨と目が合う。こちらは俺と違ってよく寝れていたようで、俺を見上げる目はぼんやりと曖昧だ。なんとなく、呂律もあまり回っていない気がする。
「悪い、起こしちまったか……」
「なに、気にするな」
 それより、と村雨が言葉を続ける。
「寝汗が酷いが、なにか悪い夢でも見たのか」
 悪い夢、と問われたが、俺はなにも答える事ができなかった。というのも、恐ろしい夢を見た覚えはあっても、夢の内容を一片たりとも覚えてないのだ。説明しようにも説明できない。歯痒く思ったと同時に、驚きもした。見た夢の話を誰かにしようなんて、昔の自分では考えられなかっただろう。驚き、それから、安心した。
「どんな夢だったか覚えてねえんだけど……」
 村雨が静かに頷く。話を聞いてくれるのだろう。
「なんか怖かったのだけは覚えてて、それで、目覚めちまったみてえだわ」
「そうか」
「悪かったな、折角寝てたのによ」
「気にするな、と私は言った」
 え、と聞き返す俺へ、村雨が手を伸ばす。意図が汲めず見ていれば「こちらに来い」と手招いてくる。素直に従い上体を村雨へと寄せれば、そのまま抱きしめられる形となった。
「……俺、汗かいてっけど」
「気にするな」
「なら、いいけどよ」
 村雨の胸板を枕にする形で寝ていれば、骨張った手が遊ぶように俺の髪を梳いてくる。なにがしたいのか分からなかったが、どうしてか、再び睡魔が俺の手を引き始めていた。
「……聴こえるか?」
 え、と聞き返し見上げようとした。だが俺の頭は、村雨の手によって動かす事ができなかった。仕方がなく「なにが」と瞼を閉じたまま聞き返す。
「心臓の音だ。私の」
 もう一度、耳を澄ます。遠く、深いところで、トッ、トッ、トッ、とくぐもった音が聴こえてきた。
「眠れない時、飼っていた犬の体に、よく耳を当てていた」
「心臓の音、聴いてたのか?」
 返事は無い。だけど頷いたのだと分かった。髪を、俺ではない手が梳く。されるがまま、遠く深い場所から聴こえてくる音に耳をそばだてた。どうしてか、先ほどの恐怖も不安も忘れ、再び眠りの中へと落ちていき、俺はそのまま眠ってしまった。


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