甘く永く溶けて残る


 メレンゲで作られたサンタとトナカイが、真っ白なケーキの上をまるで自身の城とでも言うような面で乗っかっている。作り置いた飯は冷めても食えるモノばかりだが、それでも待ち人が来ないと寂しさを覚えた。時刻は夜の十一時。暦は、十二月の二十四日だった。
 クリスマス・イヴだ。つまり前夜祭で、明日は世界で一番有名な男の誕生日だそうで。だがどうにも勝手が分からない。鳥料理をメインに飯を作ったり、申し訳程度に小さなツリーを置いてみたりもしたが。クリスマスを祝う習慣の無い自分には、これが正解だという確証はなかった。
 そう、全てが不慣れで不恰好だった。当たり前だ。クリスマスなんて行事は、俺の今までの人生には無かったイベントだからだ。
 初めての事は大抵、村雨礼二という男が教えてくれた。いや、与えてくれた。違うな。押し付けてくる、それとも、強引にやらせてきた、か。とにかく村雨礼二という男は常に俺を巻き込む、台風のような男だった。
 そして、だ。俺は今、その村雨礼二が家に来るのを待っている。クリスマスケーキまで用意して。
 クリスマス・イヴに二人で会おう、と予定を入れたのは十二月に入ってすぐだった。誘ったのは俺だ。だけど誰かを気軽にクリスマスへ誘っていいと教えてくれたのは村雨だった。
 ケーキ焼いてやるから、なんて慣れない言葉で誘えば、村雨はいつもの調子で「ケーキの上にサンタクロースとトナカイは必須だ」なんて言ってきて。それに苦笑しつつも二つ返事で了承し、メレンゲで出来たサンタクロースとトナカイ、それにケーキの材料まで揃えて今日を迎えたのだった。我ながら、浮かれすぎていて恥ずかしくなってくる。
 時計に目を転じる。十一時半。この時間ならきっと、村雨が家にやってくるのは日を跨いでからになるだろう。ならばあと三十分だ。待つには長く、何かをするには短い。
「……ワインでもあけっかな」
 そう独りごち自嘲する。誰に向けて言ったんだか。この家には今、俺だけしか居ないというのに。ああ、やっぱり、あんまり人を待つのは得意じゃない、かもな。いや、相手が村雨だから、焦ったさに心が揺らぎ寂しさに騒めきを感じるのか。
「やっぱ、あけるか」
 立ち上がり、グラスを二つ用意する。
 村雨は飲まないかもしれない。それでもいい。二つある方が、待ってるんだって気持ちになれるから。そうだ。俺は村雨を待っているんだ。
 
 
 
 タクシーを降り駆け足で獅子神邸へと向かう。袖を捲り腕時計へと目をやれば、二本の針が重なって十二時を差していた。しまった。日を跨いでしまった。急ぐ足を、もっと早く、と走らせる。だが手に持っている菓子類が重く、また夕方から降る雪が足元を悪くさせてスピードは期待するほど出ていなかった。決して、私が運動不足だからではない。
 もっと早くに病院を出るつもりだった。不測の事態があった訳ではない。いや、病院は常に問題が起きているが。そうではなく。全ての原因は今日という日にあった。クリスマスだ。正確にはクリスマス・イヴだが。
 今日はクリスマスだから、と。
 企業の経営戦略に踊らされた単純で陽気な同僚や上司たちに、やれお菓子だチキンだと持たされ、しまいには患者のよく分からない長話にまで付き合わされてしまい、気が付けばこんな時間になっていた。全く、誰が他人の思い出なぞに興味があるものか。それとも私が迂闊にも「今日は恋人と過ごすので」なんて事を言ってしまったからか。まったく、後悔先に立たずだな。
 やっとの思いで辿り着いた獅子神邸の門をくぐり、チャイムを強く押す。近所迷惑など考えている場合ではなかった。外は寒いし、雪は降っているし、なにより早く獅子神に会いたかった。会って安心したいのだ。帰ってこれた、と。
 手が悴む。手袋の手を寄せて摩り、はあ、と白い息を吐いた。雪が鼻先を濡らし、髪の先へ引っ掛かって落ちてゆくのを、焦れる気持ちでじっと見る。数秒後、やっと扉が開き、明るい光を背に獅子神が顔を覗かせた。
「村雨!」
 すまない、遅くなった。そう声を出す前に暖かい体が私を抱きしめた。突然の事だった。不測の事態だ。思考も、言葉も、重い情報を処理する為に止まった。
「……」
「村雨?」
「……はっ!」
 やっと思考が回復する。だが反応が遅れ、今度は状況に戸惑いはじめる。そんな私に獅子神は「おっせーよ、あほ!」と嬉しそうな声音を出しながら、さらに強く抱きしめてきた。
 アルコールの匂いが鼻先を掠める。なるほど、とようやく私は得心した。
「あ、あなた、酒を飲んでいるのか?」
「ちょっとだけな」
「ちょっとの量には思えんが」
 蛇のように巻き付いていた体が離れる。寒さに身震いした。だがそんな私に構う余裕がないのか、獅子神が目を伏せながら恐る恐る訊いてきた。
「……おこってんのか?」
 展開の早さに目が回る。喜んだり、落ち込んだり。目まぐるしい男だ。
「怒ってはない。……心配しているだけだ」
「そっか。ごめん。ありがとな」
「あなた」
「ん?」
「……いや、なんでもない」
 それより早く家に入れろ、と促せば、ニコニコと笑う獅子神が「ケーキあるぜ」と手袋をしたままの私の手を引く。家の中は暖かく、やっと、無意識に張っていた緊張の糸が解けた。
 だが世話焼きな手が、やっと一息ついた私から追い剥ぎのようにコートを引っ張ってきた。強い力で引っ張られた私はバランスを崩しかけ、獅子神の胴に抱きつくことで転倒を免れようと踏ん張る。
「ほら、コート脱ごうな」
「お、おい、一人で脱げる。やめろ、あまり引っ張るな」
「おこってんのか……?」
 それは反則じゃないのか?
 もし今が何かの試合中であったなら、獅子神にはとっくの昔にレッドカードが出ているだろう。それほど強力なカードを、この男はさっきから惜しみなく切っていた。
「怒ってはない。ただ、あなたが」
「なんか、じっとしてらんなくてよ」
「……」
「はやく会いたくて、んで、ちょっと飲んじまった」
 いつもの強気な態度は何処へ。まるで子供のような、素直で可愛げのある態度にただただ驚いてしまう。もっと普段からこうであれば。いや、普段とは違うからこそグッときているのだろう。グッ、とはつまり、そういう事だ。皆まで言わせるな。
「……以後、私以外の人間の前では酒を飲むな」
「ん、わかった」
 そう、獅子神が素直に頷く。だが酔いが醒めれば今の言葉も忘れてしまっているだろう。なに、また後でしっかりと言い聞かせればいいだけだ。それよりも早く、コートも手袋も脱いで疲れた体を労り、私の為に用意してくれたであろう食事やケーキにありつきたい。
「獅子神」
「もう酒はのまねえから」
「それはもういい」
「……じゃあ、なんだよ」
 酒の飲み過ぎで本来の予定を忘れたのか。獅子神が幼子のように小首を傾げる。
「メリークリスマス」
「え?」
「忘れたのか?」
「ああ」
 ふにゃ、と獅子神が柔らかく笑い、陽気な調子で言った。
「メリークリスマス、村雨!」


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