輪郭のない白


「……触ってもいいだろうか」
「いや、駄目に決まってんだろ」
 そう突き放せば、不満を隠そうともしないムスッとした顔で、村雨が俺を見る。視線からジメジメしたナニカを感じ、目を合わせないよう、皿洗いに注視することにした。
「獅子神……寒いんだが」
 村雨が腕を摩って、寒い、と身振りで伝えてくる。それに対し、素っ気無く返す。
「エアコンの温度上げればいいだろ」
 ムスッとした顔が、先より濃く不満を露わにする。
「他人の家を物色するような真似は出来ない」
「いや、いつもやってんだろうが」
 正々堂々とした嘘に呆れたが、許してやるつもりは毛頭もない。ので、食洗機に入れられなかったグラス類を洗い済ませれば、目線は合わせないまま、真っ直ぐにリビングへと戻った。
 ソファーへ腰掛ける俺の隣に、当たり前のように村雨も座る。一瞬、身を強張らせてしまったが、直ぐに緊張を解く。それから、ゆっくりと息を吸った。
「獅子神」
 起伏の少ない声が名前を呼ぶ。じっ、と。いつもの観察するような眼じゃなく、生身の人間と会話を努める目で、村雨が俺を見る。こういう時の村雨は真剣な話をしようとしているか、何か許しを得ようとしているか、だ。今は後者の方だろう。
「獅子神」
「……」
 放って置けないのは、俺の悪い性分だと思う。無視しておけばいいのに、ついつい手を出してしまう。特に、俺自身を求められている時は。
 はあ、と溜め息をひとつ吐き、所在無さげにしていた村雨の手を握ってやった。
「ほら、これでいいだろ」
 温めるよう、両手で村雨の手を包みこんでやる。村雨の手は、何時間も前から家の中に居るというのに、血が通っていないかの様に冷たかった。触れる指先の温度が、俺を不安にさせる。俺の中にある心配性が頭をもたげた。
 しかし村雨は、俺に握られた手を眺めながら「まあ、いいだろ」とふてぶてしく返してきやがった。
「まあってなんだよ」
「そのままの意味だ」
 なんだそれ。
「……あのな、テメーが突然、冷たい手で俺の首に触ってきたからだろうが」
 先程の感触を思い出し、身震いする。冷っこい村雨の、手の感触だ。丁度、項の真ん中だった。ぴたり、と俺の首に纏わりついた冷たい手。まるで温度が無いみたいだった。
 村雨が俺の家に着いたのは二時間ほど前だ。
 俺の家に訪れた村雨の第一声は「なにか食事を提供しろ」だった。図々しいな、と文句を言ってやりたくなったが、ぴっちりと着込んだコートの肩に積もる、真っ白な雪に気づき、やめた。外は積もっていないとはいえ雪で。寒い中わざわざ来たのがなんだか健気に見え、これは俺の気の迷いでしかなかったが、兎にも角にも温かいものでも用意してやろう、と暖房の効いた家へと招き入れ、冷蔵庫の中を確認していた。そんな時だった。
 ぴたり、と冷たい何かが、振り返れば村雨の手だと確認できたが、それが俺の首を這った。
 思わず声が出た。それも、割と大きめのだ。
 心臓バクバクで村雨を見、気が抜け、その場でへたり込んでしまった。それから。
 それから今日一日、村雨からの接触禁止を出している。
「不便だな」
 俺に手を握られている村雨が不満をたれる。そもそも、テメーが脅かすような真似してきたのが悪いんだろうが。
「他人で暖を取ろうとするからだろうが」
「血色の良い男がいたのでな。つい」
 血色の良い男ってなんだよ。というか、その考えは危険すぎるだろうが。
 あのな、と村雨に向き直る。
「俺以外にやったらマジで怒られるからな」
「承知した。あなただけから暖を取ることにする」
「いや、俺からもやめろって」
 下らない冗談に呆れれば、村雨が小さく笑った。
「大体俺だってな、オメーが懲りずにやってきやがったら怒るからな」
 そう叱りながら、指先の冷たい手を揉むように擦ってやる。冷え症なのか、それとも外がそんなに寒かったのか、俺の手の中にある村雨の両手は冷たい。まるで体温が無いような。存在の希薄な温度だ。捕まえていないと、消えてしまいそうで。それに、この手は俺と違って硬く、骨張っている。冷たい村雨の手は、余計に痛々しく感じた。
 嫌な妄想が脳裏を過り、頭を振る。
「……」
 親指の腹で指の一本いっぽんを確認するように、村雨の手をなぞっていく。俺と違って傷のない手だ。だけど、それは今だけかもしれない。なんて。
「……獅子神」
 声にはっとし、顔を上げた。困った顔の村雨がいた。
「私の手は悩ましいほど冷たかったか」
「なんの話だよ」
「難しそうな顔で私の手を掴んでいるからだ」
 指摘されて、ああ、と掴んでいた手を離す。俺から解放された手を、村雨がじっと見る。白くて薄い、そんな手だ。
「案ずるな」
「なにがだよ」
 どうしてか、村雨は笑っていた。怪訝に思う俺の眼前に手を突き出してくる。つられ、視線をそこへやった。
 俺の手から離れた村雨の手がゆっくりと閉じ、緩く拳を作る。それから、パッと大きく手を開いてみせた。村雨の手が、指を閉じたり開いたり、と手先だけの運動を繰り返す。
「……なにしてやがる」
 聞かなくても、何をしているのかは大体分かっていた。
「触ってみろ」
「いや、触んなくても分かるから、いい」
 拒む言葉を無視し、村雨が勝手に俺の頬へ触れてくる。今日は一日、テメーからの接触は禁止にしてるだろうが。そう文句を言ってやりたかったが、言葉が出なかった。想像した通り、先程よりも温かくなった村雨の手が、俺を黙らせた。
「あなたが心配する様な未来は、無い」
 驚き、村雨を見る。
「……何も言ってねえだろ」
「私は医者だ。ギャンブラーではない」
「テメーが医者なのは知ってる」
「なら、賭けなどに興じるような人間でない事も知っているな」
「……勝手に見てんじゃねえよ」
 俺の心の中をよ、と声にならない声で零した。村雨はそれすらも聞こえた様で。溜め息を吐く俺を引き寄せ、抱きしめる。テメーからの接触は禁止してるだろって、まあ、もうどうでもいいけどよ。
「勝手に抱きついてんじゃねえって……」
「私はむしろ、あなたの方が心配だが」
「……舐めてんのか」
「ハーフライフに上がるだけでボロボロになっていたマヌケは、何処の誰だったか」
「……」
「確かそのマヌケは、左の頬に裂傷と首の」
「はいはい、俺だよ俺! これで満足か⁉」
「……まあ、いい」
「……あー、クソ」
 恥ずかしさとちょっとばかしの怒りに、雑な手付きで髮を掻き上げ、込み上げる感情を誤魔化す。村雨はそんな俺を前に、揶揄うように笑っている。
「……ちょっとぐらいは心配させろよ」
「それには及ばない」
「可愛くねえな」
 ふ、と今度は不敵な笑みを見せる。なんだか機嫌がいいらしい。
「あなたは精々、期待していろ」
「は、期待?」
 そうだ、と村雨が続ける。このお医者様はどうして、こんなにも自信満々なのだろうか。
「私は診断を間違えはしない」
「……いや、真経津に鼓膜破られたんじゃなかったのかよ」
「それがどうした」
「……」
 それは診断が間違ってるんじゃねえのかよ、と突きつけてやりたかったが、またさっきの様に恥ずかしい記憶を掘り返されそうだったのでやめた。
 期待しろ、と言った。この男はどうして、こうも自信満々なのだろうか。
 自信満々だからこそ村雨だと思えるし、村雨なのだから自信満々だとも感じる。つまり、この死神然とした男はいつだって、自信に満ちている。だから俺は村雨のことが。
 まあ、この先は今更、自覚する必要はないか。
「……無様な姿なんか見せんじゃねーぞ、村雨」
「マヌケ、誰が皮肉を言えと言った」
 叱るような手が、俺の頭をぐしゃぐしゃと雑に撫でる。そんな手を、俺は怒ることも嫌がることもせず、素直に受け入れた。


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