DAY
AM_8
朝の陽光が、隣で眠る男を金に縁取っていた。
ぼんやりと。目覚めたばかりの、まだ所々が曖昧な意識の中で金色を捉える。その景色が手に届く距離なのだと、確り実感するのに数秒かかった。手を伸ばし柔らかな髪を梳く。くっきりとした目鼻立ちの顔がくしゃりと歪み、それからたっぷり時間をかけて瞼が開いた。青い、真昼の空のような青が、朝の光を映している。
おはよ。男が短い挨拶をし、欠伸をひとつ。おはよう。そう返せば、何食う、と朝食の相談を持ち掛けられる。もう一度、まだ誰の手にも整えられていない髪を梳き、答えた。あなたの作るものなら、なんでも。
AM_10
せっせと掃除に励む獅子神を手伝おうとしたが、お前は大人しく座ってろ、と怒られた。無理に手伝っても仕方がないので、ソファーに腰掛け持って来ていた本を開く。開いたはいいが、どれだけ文字をなぞっても頭には入ってこず。本を開いたまま、一行だって読めていなかった。
大人しく座る体と違い私の視線は、右に左にと、行ったり来たりする男の後ろ姿を追う。幾度本に視線を戻しても、気がつけばまた、目は男を追っていた。
本を閉じる。
自分の間抜けさを自覚した途端、集中力が切れてしまった。頬杖をつき、ソファーへと深く凭れかかる。言いつけ通り大人しく座り、せっせと働く男を眺めることにした。
AM_12
トントン、トントン。
リズミカルな包丁の音をBGMに鍋を見守る。鍋の中では、入れたばかりのパスタが棒のまま沈んでいた。タイマーにはまだまだ、たっぷりと時間が残されている。
キッチンに居た。鍋を見守っているので当たり前ではあるのだが。
キッチンには獅子神も居る。こちらは私と違い、挽肉を炒める傍らでトマトを切っていた。説明しなくても理解できるだろうが、昼食の準備をしている。
掃除を手伝わせてもらえなかった代わりに昼食の手伝いをしているが、どうしてか鍋を見守る係に任命されてしまっていた。解せん。最近の獅子神はなんというか、私の扱いが雑になってきている。大体、切る仕事は私の専売特許だというのに。肉限定だが。なに、冗談だ。
PM_3
長方形の生地に、溢れるほどのスライスアーモンドが乗っている。水飴でしっかりと固められているから、アーモンドが零れ落ちてしまうことはない。
甘い匂いがする。砂糖の匂いだ。
艶のあるフロランタンを皿からひとつ摘まみ、口に運ぶ。クッキー生地とキャラメルのトッピングが溶け、糖分がじんわりと体に馴染んでいく。
作った本人は一口も手を付けずコーヒーばかり飲んでいた。制限中か、と問えば嘘が吐けぬ男が歯切れの悪い返事をする。嫌がる人間に無理強いする趣味は無いので、全て貰っていいのなら構わない、とだけ前置きし、二口、三口とフロランタンを手に取った。もう一皿ぐらいなら余裕だ。
トン、と肩に何かが寄りかかる。獅子神だ。獅子神が、私の肩に体を寄せていた。それでも、自分から手を伸ばそうとはしない。往生際の悪い口へ半分に割ったフロランタンを与えてやれば、私の指へ触れない距離に柔らかな唇が寄せられた。白い歯が喰み、赤い舌に招かれ、甘い菓子が口の中へと消えていく。
美味しいだろう。そう訊けば、誰が作ったと思ってんだ、と小突かれた。
PM_6
窓外は赤く染まっていた。陽が、地平線とは呼べない凸凹の街並みの、その向こう側へと沈んでいく。カーテンを引き、変わりゆく外を隠した。
買い物、結構かかっちまったな。冷蔵庫へ買った物をなおしていた獅子神が言った。私は、しばらく買いに行かなくても大丈夫そうだな、なんて獅子神の冷蔵庫事情も知らずに返した。
夕食には何を作る気だ。そう聞こうとし、やめた。テーブルに食事が並ぶまでの楽しみにしておいた方が良いと考えたのだ。楽しみは多い方がいい。特に、今日みたいな日は。
PM_10
ぽた、ぽた、と。水滴がフローリングに落ちる音が聞こえた。振り返れば、風呂上がりの獅子神が居た。何故か上裸であった。滑らかな肌には水が滴っている。幽かだが、お揃いの石鹸が香った。
風邪を引きたいのか、と注意すれば、間違えてオメーの着替え持って入ってたんだよ、と獅子神が。間違えたとしても着てしまえばいいのに。同性であるし、背丈も違い過ぎる訳ではないのだし。そこまで考え、不意に昔のことを思い出した。その昔、私も間違えて獅子神のシャツを着てしまったのだ。袖を通し、第一ボタンを留めたところで自分のではないと気がついた。明らかに大きい。それに袖が、手の甲を半分も隠してしまっていた。
私は私の尊厳の為、自分の着替えを持って風呂場へと消えていく獅子神にそれ以上声を掛けず、その背を見送った。
PM_12
ナイトテーブルに置いている照明を消せば、視界が真っ黒に塗り潰された。外も内も音らしい音はなく、静かだ。ここに今あるのは、空気から伝わる他人の温もりと、息づかいだけ。眠気はすぐ側まで来ていた。暗闇の中、目を瞑り、私も真っ黒の一部となる。
誰かが私の髪に触れた。ベッドには今、私と獅子神しか居ない。だからこれは、獅子神の手だ。獅子神が、私の頭を撫で、髪を梳く。
寝れないのか。尋けば、くつくつと笑う声が聴こえた。私の問いには答えず、眼鏡外すと童顔だよなオメー、とだけ。獅子神の声は楽しそうな色をしている。年下のクセに生意気な男だ。だが注意も文句も口にはせず、気が済むまで好きにさせた。
髪に触れる手が温かい。温かいのは、生きているからだ。
明日は何時に起きようか。午後から仕事だから、朝の時間はなるべくゆっくりと過ごしたい。
手が離れる。空気が揺れ、衣擦れの音がした。それから、眠気を帯びた声が話しかけてくる。
おやすみ、村雨。
獅子神が欠伸をし、一緒に包まっている布団が引っ張られる。他人の存在が近くなり、私と同じ石鹸の香りが鼻腔を擽った。布団の中、指と指が触れる。
隣で眠りにつくのは、側に居ることを許し、許されたからだ。
おやすみ、獅子神。
寝返りを打ち、獅子神の肩に鼻を寄せる。声は溶け、寝息の中に消えた。