歩こう、一緒に


 街路樹の銀杏が鮮やかな山吹色に染まっている。街は秋に色づいており、吹く風は温かくもあり、冷たくもある。レンガで舗装された道は、大通りに沿って真っ直ぐどこまでも続いていた。整備された道に落ちる影は、まだ昼の時間だというのに薄い。
 早いか、と迷いながらも巻いてきたマフラーを顎下まで引っ張り上げる。ショーウィンドーに映る私は、なんだか大きなカラスに見えた。
 袖口を肘の方へと引き、腕時計を確認する。待ち合わせの時間にはまだ余裕があった。余裕があったが、私は先程よりも少しだけ、歩を早めた。
 やはり、か。
 心の中でだけ、予想していた光景を前に溜め息を吐く。待ち合わせの時間は午後の三時だ。現在の時刻は午後の二時三十分。そして約束の時間はまだ先だというのに、数メートル先には見慣れた金髪の男が、空を見上げながら立っていた。獅子神は、随分前から待ち合わせの場所へと到着し、連絡も入れずに私を待っていたようだった。
 この男はどうしてか毎回、待ち合わせの何十分も前に到着し、何をするでもなく私を待っている。
 獅子神と外で会う約束をすると、予定していた時間よりも遥か前に到着し、到着したにも関わらず私に連絡も入れずに待っている。
 この謎の行動に気がついたのは二ヶ月ほど前だ。偶々、三十分早くに着いてしまった私が近場でゆっくりできる場所を探していると、三十分も前だというのに待ち合わせ場所に立っている金髪を発見した。発見、という言葉が一番正しい。そう感じるほどの衝撃だった。
 着いたなら「着いた」と連絡を入れれば良いのに。連絡も入れず、かといって何処かでゆっくりもせず、ぼんやり空を眺めながら、ただ立って私を待っている。私が無断で遅刻したら、この男はどうするんだろうか。そんなよく分からない妄想をしてしまう程度には、獅子神の待ち合わせは私の知っているモノではなかった。
「マヌケ、いつからそこに居た」
 挨拶の代わりに質問を投げつける。前は一時間ほど前、その前は恐ろしいことに二時間も前から待っていた。この男は時計が見れないのか、それとも相当、待つのが好きなのか。どちらにせよ変わっている。
「会って早々、口が悪いな、テメーは」
「何時間も前から待っているあなたに言われたくはない」
「何時間も待ってねえよ。今日はついさっき、着いたばかりだっつうの」
「何時からだ」
 いや、えっと、と獅子神が言い辛そうに吃る。嘘を吐けば良いのに、私の前だと嘘を吐いても意味がないと理解しているから言葉が続かない。この男は、本当に真面目すぎる。まあ、いいが。
「大方、一時間前には着いていたんだろう」
「……ああ、いや、まあな」
 はは、と目を逸らして獅子神が笑う。他人であったら苛々とする態度だが、この男がすると何故か愛嬌を感じられた。
「……獅子神、あなたは冬になっても、こんな事をする気か?」
「なんで待ち合わせ如きでテメーにケチつけられなきゃなんねえんだよ」
「ケチではない。風邪でも引いたらどうする、と言っている」
 また、獅子神が言い辛そうに口籠る。そうだ。心配しているのだ。私は、あなたが私を待っていた所為で風邪でも引いてしまわないか、と。不必要な無茶は止して欲しい。それだけだ。
 獅子神はどうしてか、約束の時間よりも前に来ては、私を待っている。
 私が遅刻に厳しいと、そう思っているのだろうか。だとしたら勘違いも甚だしい。それとも他に、何か理由でもあるのだろうか。行動や思考を読むのは得意な方だが、獅子神の早すぎる時間には心当たりがない。
 悶々と一人、考え込む私に獅子神が「あのよ」と話しかけてきた。展開していた思考を閉じ、獅子神へと向き直る。
「どうした」
「……笑わねえって、約束できるか?」
「は?」
 突然、突き出された約束の言葉に驚き、思わず聞き返す。
「なんの話だ」
「待ち合わせの話に決まってんだろ」
 獅子神が俯く。金髪がさらりと揺れた。
「……あなたが真剣に話そうとしているのに、笑うような人間に見えるか?」
 侮るなよ、という意味もあった。あなたに不誠実な態度を取るような、そんな人間だと思われたくなかったのだ。
 あなたが正しさを求めるなら私も正しく在る。信頼に足りる人間だと、あなたに思って欲しい。私は獅子神へと耳を傾け、話を聞いている、と姿勢で示した。
「あー……、その」
 落ちた前髪が、獅子神の目を半分だけ隠している。色の薄い瞳がどこを見ているのか、私の位置からでは確認することが出来ない。形の綺麗な唇が「その、だから」と、辿々しく紡ぐ。
 そんな獅子神に、私は少しだけ不安になった。しかしそれは、すぐに何処かへ消えてしまった。
「待ってるのが、さ。楽しいだけなんだよ」
 前髪を掻き上げ、照れ臭そうに、眉尻を下げて獅子神が笑う。
「テメーのこと考えながら、これからの予定とかも考えて、早く来ねえかなって待ってんのが。それだけの事がすげー楽しくてよ」
 窺うように、謝るように、獅子神が私を見る。
 私は、先ほど感じた不安を押し退け、込み上げるような熱を体の内に感じていた。
「……ああ、その。冬は、流石にどっか店入るし」
 そう言ってから、心配させてすまねえな、と続ける。私は、獅子神の言葉に動けなくなっていた。
「……笑わない、とは約束したが、煽れ、とは言ってない」
「は、……はあ⁉」
 素っ頓狂な声を獅子神が上げる。私は、今すぐこの男を然る場所に連れて行き思いの丈をぶつけてしまいたい衝動を、深呼吸をすることで抑えた。素数も数えた方がいいかもしれない。冷静さが駆け足で私の元を離れようとしている。
「あなたは、もう少し、自覚を持った方が良い」
「自覚ってなんだよ」
「私の心を掻き乱している、という自覚だ」
 なんだそれ。獅子神が呆れた目で私を見る。
「勝手に掻き乱されてんじゃねえよ」
「……あなたは」
 息を深く吸い、ゆっくりと吐き切る。あなたは、あなたが私を愛している程、私もあなたを愛しているのだと、自覚を持った方が良い。
「……いや、いい」
「なにを言いかけやがった」
「知りたいのか」
 今更、何かの地雷を踏んだんじゃないのか、と焦り始める獅子神に笑いかけてやる。焦っても、もう遅い。私は決めた事は必ず遂行する人間なのだ。
「……私が何を言いかけたのか、今日一日かけて全部教えてやろう」
 袖を引っ張り腕時計を確認する。時間はまだ、午後の三時だった。私との約束に早く来てしまう程、今日を楽しみにしている男に、色々と教える時間は十分すぎるぐらいある。
 
 街路樹の銀杏はどこまでも続いている。私たちは歩幅を合わせ、色づいた街に時々足を止めては言葉を二三交わし、またゆっくりと歩き始めた。


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