眠れぬ夜の


 夜、たまに寝れない時がある。
 だいたい、すぐ横に他人の息遣いがある時。
 自分以外の呼吸が聞こえると、少しだけ、緊張する。だからか、たまに寝れない時がある。
 布団の中で身を捩り、体の向きを変えた。丁度、俺の横で寝ている村雨の顔が見えるよう、さっきまで頭を置いていた枕に肘を付き、体の位置をズラす。
 規則正しい寝息が聞こえる。
 寝ている村雨の顔を見下ろしながら、その寝顔を観察した。血の気が薄く、不健康そうだ。実際の村雨は盗み食い常習犯で、健康そのものといった男だが。
 寝ているというのに、村雨の眉間には深くシワが寄っている。なんだか不機嫌に見える。
 これは何だと問われると、幼稚な悪癖としか答えようがないだろう。
 村雨の顔に手を伸ばし、シワが寄る眉間にぐ、と人差し指の腹を押し当てる。そのまま眉間のシワを伸ばすよう、指でぐりぐりと押した。むむ、と寝苦しそうな声が聞こえ、思わず顔が綻ぶ。
 眉間を押された村雨はだいたい唸るだけで、起きる気配はいつだって無い。起きている時は悪戯がすぎる男も、寝ていれば人差し指ひとつで翻弄されている。普段と違って好き勝手にできるのが楽しくてつい、寝れない夜はこうやって時間を潰してしまっていた。我ながら幼稚な悪癖だな、と感じる。けれど止められそうにない。
 すぐ横で村雨が、気難しそうな顔をして寝ている。眉間を押せば、それが気持ち和らいだように見えた。そうやって、俺にいいようにされている村雨が面白い。
「……可愛いな」
 思わず「えっ」と声が出そうになった。空いていた手で口を押さえ込み、出そうになった声を奥へと押し込む。無意識に出た言葉に自分で驚き、眉間を押していた指が止まった。俺は今、なんて言った。勝手に口からでた言葉とはいえ、村雨のことを可愛いと、そう言ったのか。
 火が付いたように、一瞬で顔が熱くなる。恥ずかしくなってつい、誰も見てやいないというのに顔を伏せた。
「……何言ってんだ、俺は」
 三つも上の男に何を言ってんだか。馬鹿馬鹿しい。
「……寝よ」
 布団に潜り込み、目を瞑って散り散りになった眠気を手繰り寄せる。先ほど無意識に出た言葉が狂おしい程の羞恥に変わり、どうにかなりそうだった。



「寝ている私は可愛かったか?」
 朝、朝食を用意している時だった。村雨の言葉にビックリし、目玉焼きを乗せた皿ごと、床へと落としそうになった。
「……え?」
 村雨が言っているのは明らかに昨晩の、俺が無意識に発した言葉だ。可愛いな。三つも上の男が起きないのをいい事にちょっかいを出していた、あの夜の言葉。いや、この言い方だと語弊がある。
「……お、きてた、のか、よ」
 正しくは、起きてたなら言えよ、だったが頭の中がこんがらがって上手く言葉にならない。そもそも、いつから起きていたんだ。いや、どれほど前の夜から気がついていたのか。
「起きていたといえば、起きていた」
 トースターに食パンを並べながら、村雨が事も無げに言う。
「……い、いや、あの、だな」
「私が起きている時も愛でてくれて構わないが」
「は、いや、おい、えっと」
「起きている私は可愛くないか?」
「お、おい、その」
「寝ている私と起きている私、どちらが可愛い?」
「あ、あのなぁ、その」
 頭の中がぐるぐる回る。つまり、俺がニヤニヤ笑いながら、村雨の眉間をぐりぐりして、あまつさえ「可愛い」なんて気迷ったことを言ったのを、全部、ああ、全部か。寝たフリして、全部聞いてやがったのか。
「どうした獅子神、そんなに狼狽えて」
 トースターのダイヤルをきっちり四分に設定した村雨が俺に向き直る。その目は完全にこの場を楽しんでいるようだった。
「……ズルいだろ」
「なにがだ」
 ふ、と村雨が笑う。ご機嫌なのを隠そうともしない。
「お、起きてたんなら言えっ……!」
「あなたは、もう少し素直になった方がいい」
「いや、可愛いっつったのは、気の迷いってヤツで」
「なら迷い続けろ」
 なんだそりゃ。羞恥と呆れでめちゃくちゃになっている俺に、村雨が言った。
「私はずっと、あなたの事を可愛いと思っているが」
「……はあっ⁉」
 今度こそ頭の中がフリーズした。カチコチに固まる俺に村雨が続ける。
「あなたはずっと可愛いだろう」
「……なっ、あっ、えっ」
「照れてる姿も可愛いな、あなたは」
 絶対に面白がって言ってんだろ。そんな反論すら返す余裕が無い。何か言葉を返さないと、と急かす気持ちに反して口は一言も発する事ができず。可愛い、可愛い、と村雨に好き勝手言われ、翻弄されている。ああ、クソ。恥ずかしい。
「も……わかった、から」
 火照る顔を見られたくなく、片手だけで顔を覆う。本当は持っていた皿なんか叩き割って、どこかへ隠れてしまいたかった。まさに、穴があったら入りたい、だ。穴なんかじゃなくて、隕石か何かが上から降ってきやしないだろうか。とにかく、この、心から溢れかえった恥ずかしさを、どうにかしてしまいたい。
「……獅子神」
「見てんじゃねえっ……!」
「はあ」
 羞恥で可笑しくなった俺に、村雨は呆れたような声で「そういう所だが」とだけ言った。


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