二人っきり
強かさの陰に繊細さを押し込めたような男だ、と。男のことを知っていく内に、そう結論付けた。
獅子神敬一という男は強い人間だ。負けず嫌いでもある。それに怒りっぽい。だが他人の目を、そして自分の内なる目にも敏感に察する繊細さがあった。それは行き過ぎた臆病さや卑屈な面として現れ、時偶、本人の足を引っ掛けてしまう。だがそういった短所も、彼は自身のカードとして切ってしまう大胆さがあった。
獅子神敬一と出会ったのは偶然であった。だが遅かれ早かれ出会う男だったのかもしれない。お互い、決して逃れることのできない飢えを抱いて生きていたのだから。ならば、この出会いは、この関係は、お互いにとって必然の運命だったと云えよう。
窓から差し込む午前の陽が、私たちを暖かく照らす。
まだ眠気を引きずっている私は、船を漕ぐよう、心地よさに体を揺らしていた。
香水の匂いが混じる髪へと鼻を寄せ、獅子神の体へと寄りかかる。なんだよ、と怪訝そうな声が問うが、私から逃れることも退かすこともしなかった。許されるまま、その体へと腕を回す。一層、鼻腔をくすぐる匂いが濃くなった。だが先とは違い、そこには私の匂いも混じっていた。落ち着くな、と息を吐く。
「くすぐってえって」
「我慢しろ」
「我が儘言うなよ」
獅子神の手が叱るよう、私の鼻先を摘んだ。驚き、子供を叱るような手から顔を振って逃げれば、楽しそうに笑う声が聞こえた。
「……あまり虐めるな」
不満を込めて訴える。だが獅子神は笑ったままで。上目遣いに睨めば、可笑しそうに私を見る獅子神と目が合った。
「鼻が痛い」
「あんまり俺を困らせんじゃねえって、叱ってやったんだよ」
「言葉で注意すればいいだろう」
「言っても聞かねえだろ、オマエ」
獅子神の言う通り、私は言葉にしたところで素直に聞きはしないだろう。だからといって暴力には反対だが。
もう一度。今度はおそるおそる、私より上背のある体を抱き寄せる。いや、寄りかかっている状態に近いか。兎にも角にも、私は獅子神を抱きしめた。
「……ったく。やっぱり、人の注意なんか聞きゃしねえんだからよ」
「私はただ、あなたを近くに感じておきたかっただけだ」
「近くって……」
不思議そうに獅子神が首を傾げた。
「別に、昨日からずっと一緒に居ただろ」
少しだけ昨晩の時間を反芻し、答える。
「……次に会うのは明後日だ」
「え、ああ」
獅子神が時計へと目を転じ、それから私を見た。
「だから、なんなんだよ」
「それまでの充電だ」
「充電?」
そう聞き返す声は私の言葉を全く理解していないようで、なんだかそれが歯痒かった。まるで私だけが、勝手に焦り、恋しさに縋っているようじゃないか。
「次、あなたに会うのは明後日だ。それまで、あなたという存在を溜めておく」
「どこにだよ」
「私の中に、だ」
たっぷりと間を空け一言、らしくねえな、と獅子神が呟いた。
「私らしくないか?」
「まあ……いや、案外そうでもねえかもな」
「案外?」
「オメーって、結構寂しがり屋なところあんだろ」
「ないが」
「あるって」
「そうだろうか」
「そうだって」
「思い違いだ」
「図星なんじゃねえのかよ」
「誰が図星だ、マヌケ」
「はい、はい」
獅子神の肩が、笑いを堪えるように小刻みに震える。途端、私は自分の頑固さが恥ずかしくなり、あなたがそう思うならそれでいい、と子供のような言葉で逃げた。
だが獅子神の言う「寂しがり屋」という言葉が喉に引っかかる小骨のように気になってきて。つい、間を空けず聞いてしまった。
「……寂しがっているように見えるか?」
獅子神の首許へ鼻を埋めながら問う。くすぐったそうな獅子神が「みんなで騒ぐのとか、好きじゃねえかよ」なんて、よくわからない事を言った。
「……極端な印象だ」
「かもな。けど、俺にはオメーがそう見えんだって」
見上げれば淡い色の瞳が私を見ていた。いつから見ていたのか。気が付かなかった。
するり、と縋っていた手を離し、ほんの僅かだが距離を取る。獅子神の手が、私を追うように伸ばされ、なにも掴むことなく下ろされた。一連の流れをぼんやりと見ていた私は顔を上げ、秘め事を告白するかのように言葉を紡いだ。
「……あなたの前だけだ、と言ったら、どうする?」
「なにが」
「あなたの前でだけ、どうしてか、一人で居ることが怖くなる」
「一緒に居んじゃねえかよ、今も」
「ずっと一緒な訳ではないだろう」
「……逃げやしねえだろ、俺は」
「逃げなくとも失うことはある」
獅子神の目が剣呑な色へと変わる。私の言葉を煽りと捉えたのだろう。
「俺が弱いって。そう言いてえのかよ?」
予想通りの反応に私は首を横へと振り、違う、と答える。だが色の淡い瞳は私を疑うように見続けていた。
「どう受け取るかは勝手だが、私はあなたを侮っている訳じゃない」
「じゃあ、なにが言いてえ」
「事実を述べたまでだ」
強かであればあるほど、人は己がままに生きていけるだろう。だが、一度の躓きで全てを失う可能性も大きくなる。強ければ強いほど、折れた時は一瞬だ。
あの男もそうだった。私と全てが違う、私のたった一人の兄貴も。
首の皮一枚で助かったとしても、命を落としかけた事実は変わらない。もし、一瞬、一寸、なにかが違えていれば全てが終わっていた。なんて。
「あなたが一生、私の側に居るなんて。そんな確約など無い、という話だ」
大切に抱えていたとしても、ふとした拍子に、唐突に、なんの予兆もなく私の前から消えてしまうかもしれない。未来は確定しない。永遠など不確かだ。約束など、死んでしまえば最初から無かったのと同じだろう。
偶然であろうと、必然であろうと、この男と出会えた人生を手放したくない。
「ああ」
はたと気が付く。
一緒に過ごす時間を惜しむぐらい、この男に、獅子神敬一に執着しているのか。
「……どうした、村雨」
「……あなたの見立ては中々、鋭いと感心していた」
「は?」
「まさか、あなたに診断されるとはな」
「お、おい……なに笑ってやがる」
愉快な気持ちになり、つい声を出して笑ってしまった。そんな私を獅子神は不気味そうに見る。
一触即発だった空気から一転し、今度は間の抜けた雰囲気となった。それもなんだか可笑しく感じた。まだ意味を理解していない獅子神に、私は続ける。
「あなたの言うとおり、寂しがり屋なのかもしれんな」
「は、なんだよ、いきなり」
「いきなりではないだろ、マヌケ。さっきまであなたは、私をそう揶揄っていたはずだ」
揶揄ってねえって。そう云いながらも思い当たる節があるのか、ばつが悪そうに目を逸らす。分かりやすい男だ。そんな獅子神の体を、先よりも強く抱きしめた。
「あ、おい、村雨」
「充電だ、と言っただろう」
「充電って」
「あなたに会えない間、寂しいのでな。今、あなたとの時間を満喫しておく」
「開き直りやがって」
「開き直りではない。受け入れたのだ」
「……そーかよ」
やっと大人しくなった獅子神は、先のように鼻を摘んで叱ることもなく、私にされるがままになった。好き勝手抱きつかれたままの獅子神が、ぼそり、と溢すように訊いてきた。
「さっきのも、全部、抱きつく為の口実かよ」
「かもしれんな」
「……そうか」
窓から差し込む午前の陽が、私たちを暖かく照らす。
静かな時間が流れていた。静かで穏やかな、そんな時間だ。心地が良く、再び、眠気が私の手を取り誘う。
「村雨」
名を呼ばれ、顔を上げて獅子神を見た。
「なんだ」
「ズルくねえか?」
「なにがだ」
「オメーばっか、その、充電ってやつしてんのはさ」
「……」
「……」
お互い、面映いと云わんばかりの、他人にはとても見せれない顔をしている。
眠気はとっくの昔にどこかへ消えてしまっていた。
部屋に満ちる空気はいつの間にか、胸焼けするほど甘いものへと変わっている。唾を飲み込み、誘われるがまま答える。
「……まだ朝だが」
「いや、その……」
「こんな時間からあなたを求めるのは、非常識だと思うか?」
「……さあ」
獅子神が目を伏せる。金糸のような前髪が落ち、簾のように目許を隠す。
「オメーの好きなようにしたらいいんじゃねえの?」
「なら、私の好きなようにさせてもらう」
そう言って獅子神の手を掴めば、私を揶揄っていた男は静かに頷くだけだった。さっきまでの威勢はどこへ行ってしまったのか。
「一先ず、寝室へ行くとしよう」
「あ、ああ……」
大人しく、素直になってしまった獅子神の手を引き、立ち上がる。
今、私の眼前に立っている男は、強かでも繊細でもない。私によく似た、ただの寂しがり屋の人間だった。
男の頬に手を寄せ、そっと口付ける。部屋を漂う空気と同じく、甘い味がした。
「あなたも充分、寂しがり屋に見える」
「……別に。俺も、オメーの前だけだっつうの」
「……そうか」
私の中へ、獅子神という存在を充たせば充すほど、もしもの未来が恐ろしくなる。
それでも私たちは寂しいから、求め合うことを止められないのだろう。